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クラゲさんの傘に、つれて行ってもらおう



 先週銭湯に行くとき、雨だった。

 唯一持っているクラゲの形の傘は、3才の花に持たせるには大きすぎる。ていうか一本しかないから自分もずぶ濡れになるし、車を出すのはめんどいし。仕方なく、いつものように花を抱っこして傘を差した。

「クラゲさんに、つれて行ってもらおう」

 雨音の下で、右肩にほっぺを乗せた花が、うれしそうに傘に手を添えてそう言った。


 おととい、西松屋に行った。今度のダンスの発表会で使う予定だった黒スキニーが、いつの間にかぱつぱつで、急遽大きいサイズが必要になった。

 レギンスかズボンかよくわからないな、と明確さを欠く陳列に辟易していたら、うしろで花が「おかあちゃん、傘がある」と発見の一報を発した。

「みてもいい?」
「いいよ」

 そのうち、彼女は大好きな薄紫色の持ち手の傘を取ると「アリエルだ!」とよろこんだ。
 アリエルは花が二番目に好きなディズニープリンセスで、一番はモアナ。ただモアナはコアすぎるのか、まずグッズが無い。遭遇頻度の高さから最近はもっぱらアリエルを推している。

「おかあちゃん、アリエルだよ!」
「ほんとだ、アリエルだねえ。花の好きな紫だし」
「おかあちゃん、これほしい」
「あ、意外と安い。うん、いいよ。次の雨の日に差そう」
「やったー!」

 その日から、花はずっと雨を心待ちにしている。


 早朝から灰色の空だった。たしか、何日か前に傘マークをみた気がする。今日か、と思っていたら、トーストをかじっているとき一斉に雨が降り出した。

「雨降ってきた」
「ほんとだ!傘させる?お母ちゃん、傘さしておさんぽ行こう」
「うん。ごはん食べて、身支度したらね」

 牛乳をテーブルの端から避難させたり、かじりかけのウインナーが床にころがったり、ばたばたと食べたり食べさせたりの時間が終わって、食器をさげるころに窓を見ると、もう雨は上がっていた。

「アリエルの傘で、おさんぽしたかったなぁ……」

 しょぼんとする花に、またそのうち降るよと声をかけながらふと、先週の光景が頭をよぎった。

 クラゲの傘の下。
 青碧に透ける路肩。ふちを伝って落ちる雫。頭を隣あわせくっつけながら、雨の音を聴いたこと。ああそうか。

 ——あれが最後だったのか。

 知らず、自嘲がこぼれた。

「そのうちって、いつ?」
「んー、スマホの天気予報で見てみよう」

 窓辺で充電中のスマホをちらりと見てから、手に持ったままのおぼんを流しに運んだ。

 つぎに雨が降るときは、この子は自分の手で傘を持ち歩いていく。そういう小さな巣立ちの瞬間が、これから何度も訪れるんだろう。
 あれが最後だった、と気付けるならまだいい方なのかもしれない。どれが最後かなんてわからないままもう会えなくなった瞬間が、きっとたくさんあるんだろう。そうやって日々が積み重なって、いつか、必ず。

 ——クラゲさんに、つれて行ってもらおう。

 あの日の言葉と雨の景色を、大切に胸にしまっておこうと思った。


まだ春先のころ、晴れてるけど傘をさしたいと言っておさんぽしていた花さん


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