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「なんで」じゃなくて「せっかく」

「あ、やったな」
走り出した瞬間に激痛がはしって膝から崩れ落ちた。
すぐ病院に連れて行かれ予想してた通り膝後十字靭帯損傷と診断され3ヶ月走るのを禁止された。
怪我した日は世界リレーの丁度1ヶ月前だった。なんで今なのどうしてっていう気持ちでいっぱいになって悲しいというより怒りの方が強くて怪我した自分を許せなかった。
辛くて長いリハビリが始まったが、リハビリをしてても学校の授業を受けててもご飯を食べてても何をしてても上の空で何も考えたくなかったし考えれなかった。
私が陸上を始めた理由はリレーが好きだったから。だから個人種目よりもリレーの方に出たかったしそれだけかける思いは強かった。
段々と世界リレーのメンバーから外れた実感が湧いてきて毎日のように家で泣いた。夢の中でも泣いていて起きたら目が真っ赤という日が何日も続いた。
両親にはとてつもない心配をかけて本当に申し訳ないと思っている。でも19歳の私には切り替えて次頑張ろうっていう気には到底なれなかった。
怪我の経過をみる為また病院に行ったが全く回復してないと診断された挙句このままにしておくと断裂の恐れもあると手術を勧められた。目の前が真っ暗ってこのことを言うんだなってそのときわかった。足にメスを入れることがどれだけのリスクを伴うかは言われなくてもわかっていた。丸2日考えて手術することを決めた。
怪我してからの2週間は自分が毎日どう過ごしてたかもいまいち覚えてない。それくらい心ここに在らずの状態だったし精神的にもギリギリのところで生活していた。
無我夢中で1日に言われたリハビリのメニューの倍の量をこなそうとしてトレーナーに何度もとめられた。
時間がない。明らかに焦っていた。
3月に自己ベストを更新して本当に調子が良かった。このままいけばメンバー入りは確実だろうと言われていた。そんな中でこの状況に陥り正気でいる方が無理だと思った。
焦っても何も解決しないし良い事なんてないってわかってる。けどこのままなにもしなかったら私は一生自分を許せなくなると思った。
なんとしてでも6月の大会には出る。そう決めていた。
怪我してからの今日まで私はなんでどうしてとしか思ってこなかった。しかし陸上界の名監督小出監督が亡くなったニュースを知り、記事などで小出監督の名言が紹介されていた。その中に怪我したことに対して「なんで」じゃなくて「せっかく」と思え という言葉があった。
そのとき私の中で何かが変わった気がした。
怪我してるからこそできることがあるんじゃないかと考えるようになった。
スポーツに対する自分の知識を深めようと色んな本を読んだり勉強したりするようになった。
私が言いたいのは怪我してるときに何ができるかで今後の自分を大きく左右するということ。
多分今が私の人生で一番辛い時期だと思うしこれ以上苦しいことはもうないんじゃないかって思う。でも小さい頃から両親に言われてきた「あおいくま」
あ…あせるな
お…おこるな
い…いばるな
く…くさるな
ま…まけるな
を忘れずに前を向きたいと思う。
コーチに怪我してるときだからこそできることの一貫としてこのnoteを書いてみるのはどうだという提案があったので自分自身を見つめ返しよく知るためにも始めることにしました。
#陸上