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ありがとう

手術を終えて、復帰は早くても8月上旬だろうと言われた。許可を出すまではスパイクを履くこともジョグをすることも禁止された。
わかりました。と口では言っても心の中では冗談じゃない。8月までなんて待ってられない。と思っていた。
リハビリが始まったが、あとでこの時の私のことを母に聞くと、一言で言えば狂ってた。と言われた笑
朝、大学行く前にジムに行って怪我をしてる左膝以外の部分の筋トレをした。
午後は大学の授業が終わってから病院に行ってリハビリのメニューをこなした。
家に帰ってからは家にある簡単なトレーニング機材でできるだけのことをした。
月曜日は唯一のOFFだけど、朝から晩まで病院のリハビリ施設にいた。
(トレーナーには夕方だけ行くと嘘をついて笑)
とにかくリハビリ漬けの毎日だった。
下手したら悪化するかもしれないし治りが遅くなるリスクもあった。でも私はそんなこと考えるタイプの人間ではないし、両親もそれをわかってとめなかった。
私の頭の中はリハビリのことでいっぱいで、授業を削ってまで時間を費やした。
本当に狂ったようにリハビリをしていた。
その甲斐あって?笑予定よりも随分と早くジョグの許可が出た。希望が出てきた。
それからは朝3時に起きて家の近くの公園に走りに行った。
左足の筋肉が落ちて明らかに右足よりも細くなっていた。走る時の感覚も怪我の前とだいぶ違って膝が抜けるような感覚があった。
え、私これスパイク履いて走れるようになるの?全力で走ったら膝無くなっちゃうんじゃない?と思った。
どうしてもどうしても夏の練習に間に合わせたかった。夏は全力で練習したかった。
希望が見えたと思ったらまたドン底に落ちた気分になった。この時の私の精神はまさにジェットコースター。走れないストレスからか38度ぐらいの熱が何日も続く心因性発熱にもなった。
出たことない蕁麻疹まで出た。大して何も食べてないのに嘔吐する日が続いた。
寝れない日々が続き、寝たと思ったら深夜に起きるというそんな日ばっかり。
三時間寝れればいい方だった。

私には3つ年上の幼馴染がいる。
小さい頃から陸上をずっと一緒にやってきた。
ある日の夜その幼馴染から電話がかかってきて、今から公園にこい。と言われた。あとで知ったのだが、いつもの私じゃない私を母が心配して幼馴染に話していたのだった。
私は基本誰にも本当の気持ちを言わない。
自分だけがわかってればいいと思うから。
自分のことは結局自分しかわかってあげられない。昔からそういうスタンスで生きてきた。
公園に着くと陸上の話は一切してこなかった。
どうせ怪我の話とリハビリしすぎだって怒られるんだろうなと思ってた私は拍子抜けした。
でも最後に、お前は本当の気持ちを言わない。でも辛いときは辛いって言葉にしていいんだぞ。無理に笑わなくていいんだぞ。と言われて、それまで我慢してたものが一気に溢れ出した。
頻繁に会うわけでもないし毎日LINEしてる訳でもない。でも私が1番辛いときに側にいてくれる。自分はすごい恵まれてるなとその時強く感じた。幸せ者だなって。ありがとう。

世界リレーのメンバーから外れてセイコーももちろん。だったが、コーチからお前もこい。と連絡が来た。普通怪我している選手は帯同しない。なんでだろうと疑問に思ったまま大阪へ向かった。
チームが勝つのはうれしい。日本が勝つのはうれしい。その瞬間を一緒に味わえることは最高に幸せなことだと思う。でも競技場のタータンの上で味わうのと控えの部屋で味わうのでは格段にうれしさは違うと思う。
これはどのスポーツの選手でもそうだろう。
もし、自分のタイムが遅くて代表に選ばれないだけならもっと頑張ろうという刺激を受ける。でも私の場合はそれとはまた違う。
だから見てるだけというのが何より辛かったしんどかった。横浜でリハビリしてたかった。
コーチに何度も尋ねた。何で私を連れて行くのかと。答えてくれなかった。返ってくる答えはいいからついてこい。わけわかんなかった。
私に何をさせたいんだろう。コーチの意図が全く読めなかった。私の練習にいつも付き添ってくれているコーチと強化指定のチームのコーチは違う人でいつも一緒にいるわけではないから、益々何を考えているのか理解するのが難しかった。

5月23日。本当に久しぶりにスパイクを履いて5割ぐらいの力で走った。気持ちよかった。心なしか足が軽く感じた。スタブロに足をかける感じ懐かしくて、タータンに触れてただいま。と小さく言った。まだまだ全力で走ることはできないが、ようやくここまでこれた。日付で見てみればそんなに経っていないが、私の中でのこの1ヶ月ちょっとはとてつもなく長かった。
練習の後強化指定のコーチに呼ばれ、なんでお前を大会に帯同させたかわかるか?と聞かれた。素直に答えた。全くわからないと。
少しも陸上と離してはいけない思ったからだ。と言われた。お前は陸上から離れた時ダメになると思った。なぜか。真っ直ぐすぎるからだ。
今まで陸上しかしてこなかったお前を陸上から離したらどうなるか俺にはわかった。
リハビリしてるから別に陸上から離れてないって言うだろ?笑と笑いながら言われたが図星だった。
そういう問題じゃないんだな。あとは自分で考えてみろと言われたが、いまだにわからない。
時間はかかるかもしれないけど、ゆっくりその答えを見つけていけたらいいなと思う。

今はたくさんの人にありがとうといいたい。
人間は1人じゃ生きていけない。
周りの人に支えられて生かされているんだなって怪我を通じて感じた。

私は今まで支えられてばっかで助けられてばっかだった。
だから今度は自分が誰かに何かしてあげる番だと思う。
人のことを理解するのは難しいことだし、その人が今何を欲しているのかを考えるのは容易ではない。でも理解しようと努力することに意味があると思う。
優しい言葉とか励ましとかそういうのは上手な方ではないけど、私の行動や陸上に対する姿で何か伝えられることがあればいいなと思う。

自分のためにも誰かのためにも私は0.01秒の世界と戦っていこうと思う。