ぶつかること、ぶつからないようにすること

衝突は怖い。相手を傷つけてしまうから。相手が大事であればあるほど、それは怖い。
なぜ怖いのか。
それは、今まで自分たちが築いてきたものが壊れるから、というよりも、
これからの自分たちの関係が壊れるから、かもしれない。

もし今後、何か自分の身に大変なことが起きたとき、どうして良いのかわからなくなってしまうからかもしれない。
どうしようもなくなって、ただ苦しいとき、こいつに相談すればいい、こいつだったら話は聞いてくれる、こいつに相談したい、という「こいつ」を持つことの安心感は絶大で、それをどうしても失いたくないのである。

だから、衝突を恐れるのは、相手を傷つけるのが怖い、というよりも、
自分の安心できる場所がなくなってしまうのが怖い、と言うほうが良いのかもしれない。

自己中だけど、自分が大事だったのだ。ごめん。


そして今、私はそんな自己中さを捨てなければならないと思う。

ある友達が、悩んでいる。その悩みは十分にわかる。痛いほどわかる。辛かったよね、苦しいよね、と何度言っても言い足りないほどだろうと思う。

でも、本人が変えようとしなければ、現状打破にならないのではないか、と思うこともある。なぜあきらめてしまうの、なぜそう決めつけるの、と叫びたい時がある。

そして私は、それを実際に行為に移せなかった。不安だった。私は友達とぶつかるかもしれない。傷つけてしまうかもしれない。縁を切られてしまうかもしれない。
それがとても嫌だ。
怖い。

だけど、これ以上、苦しんでいる友達をみたくはない。

いや、実のところ、正確に言えば、友達は苦しんですらいない。もっと悪い状況かもしれない。何もかもが虚無になっているのだ。でもその姿が苦しいのは、私の方なのだ。

そして、縁を切られたときの苦しみは、その苦しみなんかより、ずっと軽いはずだ。

だから私は恐れない。
ぶつかること、ぶつかって砕け散ってしまうことを、恐れない。
ぶつかって砕け散っても、ボロボロでも、暗い井戸の奥底に突き落とされたとしても、突き落としたとしても、もう一度、再構築してやる。井戸の外へ、引っ張り出してやる。
もしぶつかって砕け散ったとしたら、それまでの仲だったのだと思おう。少し寂しいかもしれないけれど、、、でも多分、大丈夫。そもそも砕け散ったままにはならない気がする。

こんな断定したような言い方で書いてきたけれど、これは私の決意である。
今までぶつかれなかった私の、恐れていた私の、ぶつかることへの、覚悟である。

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