ホラー映画

久々に、ホラー映画を見た。

ホラー映画なんて見るつもりは全くもってなかったのに。
人と一緒に自宅で夕飯を食べたあと、少し時間があるから、じゃあ映画でも見よ、となった。最近感動してないなあ心がぶるぶる揺さぶられてないなあ、だから泣ける映画が見たい、とか思っていた。

なのに、見ようと言ってきたのはホラー映画。「貞子VS伽倻子」
ああ、むりむりむり。怖いもん。ただでさえ、寝不足続きで心身ボロボロなのに、こんなん見てどうするっていうの。精神削られてしまうわ・・・・・

でも、反論できるほど心身に元気はない。もう任せてしまおう、と、大きなクッション、通称、人をダメにするクッションとかいうやつに沈み込む。

セミが鳴く真夏のシーンから始まり、早速、人が呪い殺されるシーン。ああなんで見始めちゃったんだろ。てか、この登場人物、人死んでるんなら怯えてないで、まだ生きてるかどうか確認しなさいよ、ちょっとは慌てて救急車でも呼んだら、と思うけど、それはきっと怖がっている私の心が強がっているから思うこと。

明るい場面と暗闇が強調されるシーンが入れ替わり立ち替わり。
「私、死ぬのが嫌なの!」そうだよね、怖いよね。死ぬのって。未知だもん。わかんないもん。でも、ソクラテスなら、今の言葉になんて返すだろうか。
続いて同じ人物が、「呪い殺されるくらいなら、自殺してやるわ!」うん?おぬし、さっきと言ってることが違うぞ?呪い殺されるのが嫌で、自殺ならいいの?死ぬことそのものが怖いんじゃなくて?てかなんで、呪い殺されるのが嫌なの?どうせ死ぬなら、自分の手によって自分の命を立つことほど怖いことはなくない?自殺の方が怖くない?

終盤ではほぼモノトーン。おおお、怖い。
ふむふむ、主人公らは、呪いを解くことに必死になるけれど、最後の最後のシーンでは、呪いが最終的に解けなさそうな雰囲気で真っ暗な画面になり、エンドロールが始まる。ああやっぱり、この世界は不条理なのかしら、どう頑張っても解けない呪いとかっていうものがあるのかしら。主人公らは、何か悪いことをしたわけじゃないのに、たまたま、呪いを受けてしまっただけなのに。


人はホラー映画を見るし、毎年のように新作を作っては世に送り出す。その目的はなんだろうか。
見終わってからも背後に気配を感じるゾクゾク感で、お風呂もトイレも勇気を出さなければ1人で行けなくなってしまうのに。なぜこんなにも不毛な、生産性のないホラーという映画のジャンルがあるんだろう。

確かに、ホラー映画は怖かった。私は怖いと感じた。
でも、いや、私が怖いものってなんだろう。貞子?伽倻子?両方?ホラー映画?死?呪い?背後から襲われる恐怖?肉体的な痛み?精神的苦痛?ドッキリ?一緒に見ているこの人に、「私はホラー映画なんて見たくない」と言うことで嫌われてしまうこと?

いろいろ思い浮かべたけれど、しっくりこない。
私が怖いもの、ねえ、、、確かに、映画中はいろいろ怖かった。もしこれが全然怖くなかったらいいのにな。と思う。貞子が長い髪をたらして近づく様子、伽倻子がアアと唸りながら近づく様子を、平然とした顔で、ボケーっと眺めることができたら、これほど心が安定した時はないと思う。

これか、と思った。
それは「心が安定して見ている」というのだろうか。たぶん、心が死んだように、なにもないかのようになるんだろう。
まだ、怖がっているときはいい。恐怖を思いっきり感じている自分がいるのだから。
一番怖いのは、なにも感じなくなったときだ。
ホラー映画で死を感じることで、生をも同時に感じることができる。
そんな逆説的なものがホラー映画なのかもしれない。ちょっと意外だったけれど。
自分の存在を感じにくくなったときは、またホラー映画でもみようかな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?