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野本かりあさん

野本かりあさんを初めて知ったのは、近所の今はもうない本屋さんでかりあさんが表紙の雑誌を衝動買いしたことがきっかけでした。

どんなに見た目が好きで、誌面で可愛い、かっこいい、素敵と思っても、その方のパーソナリティと自分の趣味が一致するとは限らないと思います。

私は昔からお気に入りのモデルさんを見付けたりするのが大好きで、小学校の時に読んでいた『ニコラ』でも、この人が1番好き!なんて思いながら雑誌を抱えて読んでいました。

誰かに憧れて自分にはない魅力を見付けるのが好き、というのは子供の頃からで、それは雑誌の世界だけでなく、例えば習い事で一緒のお友達だとか、憧れていた方は数え切れないです。

そんな私が特別だと感じる野本かりあさんのお仕事、かりあさんがプライベートで発信されている個性的で媚びない素顔、私の知る限りではありますが、少し書き綴ってみたいと思います。

完全にいちファンとしての視点で、偏りもあるかと思います。
どちらかというと、大好きなかりあさんを改めてここでぎゅっと書いてみたい、私自身の衝動から出来上がった所謂自己満足の文章です。



類稀なルックス

かりあさんの顔が、頭から離れないのにその時はまだそれが野本かりあさんという方だとも分からない、本屋さんで立ち尽くした私。
中学生が買うにはちょっと早い様な雑誌でしたが、表紙のかりあさんと目が合って、買わずにはいられませんでした。

私が初めてかりあさんと出会ったきっかけになった雑誌。今でもフレッシュな気持ちで見ることの出来る素晴らしいかりあさんの写真が収められています。

それから、かりあさんが当時書かれていたブログを楽しみに読んだり、かりあさんの出されていた歌をYouTubeで聴く日々が始まります。
まだお小遣いも限りがある中で、家のパソコンはかりあさんを知られる唯一と言っていいツールでした。

かりあさんの魅力は、まずお人形の様な大きな目と、真っ白な肌、日本人には珍しい長身とどこまでも伸びる長い手脚。
お人形の様なお顔、というと一定のイメージやメイクだけが定着していそうなイメージがありますが、かりあさんはいつでも自由にご自身のイメージを更新していらっしゃいました。

カンヌ映画祭に出席された頃のかりあさんの金髪姿、黒髪のベリーショートでサイドを大胆に刈り上げた姿・・。

色々なかりあさんの姿を見る度に、こういう髪型が似合うなんて!と、中学高校時代の校則を守っていた私も、何か大胆なことをしてみたいと思わされました。

学生時代は何も真似することも参考にさせて戴くことも実現出来ませんでしたが、それは校則のせいだけではありませんでした。
かりあさんは唯一無二の感性で、ご自身が気持ちのいい見た目を貫かれているので、到底私が真似出来る対象ではありませんでした。
かりあさんだからかっこよくなる、魅力的になる、それがいちファンの私にとって、毎回楽しみでわくわくしている要素だと思います。



かりあさんのミュージックビデオ

かりあさんの職業は、一言で表せないとても多岐に渡るものです。

歌手、DJ、モデル、女優、(アイウェアの)デザイナー、、。
ご自身の魅力を、色んな分野で発揮されている、この点でもかりあさんは「自由」に活動されている印象を持っていました。

私が雑誌のかりあさんの次に夢中になったのが、当時YouTubeにもアップされていたかりあさんのミュージックビデオでした。
特に好きだったのが『アデューは悲しい言葉』の60年代風の演出と、『瞳の中にミラーボール。』でのちょっと未来的なパーティのビデオ。
今はYouTubeでは私の知る限りだと見付からなくて、かりあさんのDVDの作品、CDとセットになっているDVDの中などで見ることが出来ます。

かりあさんのミュージックビデオを見ると、勿論かりあさんの曲も流れます。
私が中学生の頃というと流行っていた音楽はMr.Children、大塚愛、Avril Lavigneなど。
私もその中に当時大好きなものが沢山あったので、かりあさんの楽曲のいい意味での特異さには、しばらく驚き続けました。

でも、その聴き慣れないレトロなスタイルが、耳に残って仕方ない。
ミュージックビデオではそんな楽曲にぴったりの、色々なメイクやお洋服でかりあさんが出演されていました。

『アデューは悲しい言葉』のビデオの最後のシーンが大好きです。
曲自体、突然始まってぱっと終わる様な構成なのですが、ミュージックビデオの最後の、2人のかりあさんが両手を広げて曲を締め括る姿は、それこそ憧れましたが、かりあさんだから成り立つものの象徴です。
あのポーズがあんなに印象的に映るのは、かりあさんの魅力でこそ、だと思います。

自由にYouTubeでかりあさんのミュージックビデオが見られた時期が、とんでもなく懐かしいです。
きっとパソコンでYouTubeを見ながら、夢の中にいたのではないかと思うくらいに大好きでした。



時間は進んで、今、最近のかりあさんとのことを

かりあさんの当時のブログは、まだインターネットで見ることが出来るのでしょうか。
それは分からないのですが、かりあさんの最近のご様子は、いつもかりあさんご自身のInstagramで拝見しています。

時々、私のコメントにお返事をくださるのが嬉しくて。。
これまで色々な機会があった中、1度もご本人とお会い出来ていないのが、ずっと私の中での心残りです。

かりあさんにお会い出来る日が来たら、とっておきのお洋服で駆け付けたいです。
そういう日が来るかどうかは、誰も分からないことですけれど。



かりあさんの繊細な感性(※私の知る範囲のことです)

かりあさんは、ずっと私の中で感性豊かな、とても繊細な方なのですが、これはブログだったりのインターネットや発表されて来た作品から感じることで、勝手に受け取って来た感想でもあります。

かりあさんのYouTubeのチャンネルで、以前お料理をされる様子を載せたりされていた頃も、私は「あ!かりあさんが新しい発信を始めたのを見付けられた〜!」と、わくわくしていつも拝見していました。

私がかりあさんの好きなところのひとつに、自分が悲しい時だったり、ちょっといつも通りには行かない様なことでも隠し過ぎないで見せてくださる、人間的な部分があります。

綺麗な姿だけ見せたり、特別な出来事を自慢するだけの発信の仕方ではない。
私はそんなかりあさんからずっと媚びない姿を見出して来ました。

かりあさんから感じて来た、そのままが本当に素敵なのかどうかという部分は、大切なのに多くの人がそう表現することを嫌だと感じたり、隠して良い部分ばかり並べたり、そういう傾向にある中で、かりあさんはごくごく自然にやっていらっしゃるイメージをずっと抱いています。

かりあさんに憧れていて1番素敵だと思う部分に、変な自分だってひとつの私の姿なんだから、浮いたって変わってると思われたってやりたいことをやる方がいいという姿勢があります。

作品の中でひとつのキャラクターになり切って表現する時のかりあさんと、かりあさんが例えば余り良くないことがあったと発信されている時、両方があってのかりあさんで、面白いことに、そのふたつには差もギャップも私は余り感じて来ませんでした。



終わりに

本当に只私が見て来たかりあさんの姿や作品への感想を綴ってみました。

もの凄く長くなりました。
読んでくださった方、ありがとうございます!

これからも私の大切な憧れのかりあさんを応援しています。

いちファンの文章でした。


私のパソコンのフォルダには、かりあさんのブログから保存させて戴いた過去のお写真が今も残っています。当時の私の憧れの強さを思い出す写真たちです。




友子

#野本かりあ #コケティッシュ #ドール顔 #創作大賞2023 #エッセイ部門

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