見出し画像

オトナになってからのはじめて

 

 初めて自転車に乗れた。

 初めてピーマンが食べられた。

 初めて飛行機に乗った。

 初めて海で泳いだ。

 初めてコーヒーが飲めた。


 … あっ!ごめんなさい、嘘をつきました。
 最後のコーヒーは飲めません。
 ミルクと砂糖がたくさん必要です(照)
 


♢♢♢


 子どもの頃、いつだってやることなすことのすべてが愛しかった。
 体験する時間は、少し怖くて緊張したり、楽しみな気持ちが両手いっぱいになっていたり、心がいつも爪先立ちしているような感覚だった。


 初めて何かに挑戦した時、
 初めて何かを乗り越えられた時、
 温かな充足感で満たされた。


 あの言葉にできなくて、でも掴んでもすぐにどこかに行ってしまうこの気持ちは、なんて表現したらいいのだろう?


 大人になると1つ、また1つ。
 わたしたちは、たくさんの物事を経験していく。いつしか毎日当たり前のことを繰り返すようになった。それが決して嫌な訳ではない。日々淡々と繰り返していく時間もまた、愛おしい。



 でも、わたしはわがままなのかな。

 またあの両手いっぱいの気持ちに満たされたくなる。ドキドキしたり、ワクワクしたり。

 だから、新しい自分に会いに自分でも知らない何処かへ、飛び出したくなる。



♢♢♢


 30歳になった、もういい大人になってしまった。
わたしが想い描いていた30歳は、もっとずっと大人っぽかったと思う。なのに、どうにも年齢に見合わない、大人になりきれていないオトナになってしまった。


 そんなある日、わたしは大失恋をした。
30歳で結婚しようと言っていたのに実らずに終わってしまった。





違った、この人じゃなかったのだ。
結婚する前に気付いてよかった。

そう、気付いたのは、よかった。


でも、違うって気付いてどん底に落ちた。
底なしの底に転げ落ちていって、深くて暗くてもう何も見えなくなった。



あぁ〜〜〜れぇ〜〜〜〜〜〜〜???


一体どこまで落ちるんだ?


こんなはずじゃなかったのにな、ふぅ…



(ハァーまた最初から恋をするのか…チッ)



ドン!!!


「よし!元気を出すんだ!!」
同じく独身のフリーランスのライター女史に肩を思いっきりど突かれた。
「痛いよ…」
「まぁまぁ飲め飲め」
「いや、飲めないから。あ!お茶くださ〜い!」
「なら、これ食え、これも!!」
ライター女史は大きな唐揚げと春巻きの皿を前に差し出した。
「食わん、痩せる!今すぐここからダイエットするから!」
「な〜に言ってんの。十分痩せてるでしょうがっ!喧嘩売っとんのか?」
「売っとらんわ。モテ期よ、恋(来い)!」
「まだまだ大丈夫っしょ。30代の方が大人のいい恋愛ができるよ?」
「もう〜いい〜よぉ〜!またイチからやり直すのめんどいよ〜」
「わかる!!それ、わかる!!!」
「でしょ?ハァー」
「はい!ため息つかないー」
「アァー… 髪でも切るか …」
「今時失恋で髪切る?古くない?」
「気分転換したいよーなんかこう、ほら!あるでしょ、そういうの!」
「あ、今からカラオケ行く?」
「行かねーし!気分じゃねーし」


 っていう会話って永遠にできるのだ、女子ってやつは、最高だ。そして良き同士がいると気持ちが楽になるもので、励まし合いながら、失恋暗黒時代を過ごした。



ピロリン♪



 お世話になっている先輩からメールがきた。

"元気かー?"
"元気じゃないです、失恋しました”
”おーマジか!今からみんなで福生の方に行くんだけど、行く?"
"こんな夜にどこ行くんですか?"
"福生にスケボーしに行くんだよーやる?”


え … スケボー?


やったことないな…それって…


"初心者でも大丈夫ですか?"
"メットとか防具持ってくよー家の前ついたら連絡するから、じゃ”


(なんかわからないけど、スケボーすることになっちゃったな〜)
世代的には確か小学校?の頃とかに流行っていた記憶があるだけで、やったことはもちろんない。転んで怪我しそうだし、怖そうだし、なんだか急に緊張してきた。


ピロリン♪


  先輩の車に乗り、福生へ出発。
 向かったのはランプハウス東京という場所だった。


 話を聞くといつも木曜日に都心からデザイナーやイラストレーターたちと車で夜な夜な福生へ練習しにやって来ていたのだった。チームの名前はThursday。


 施設内に入ると、巨大な半月の形状をしたランプがいくつも大きさを変えて配置してあった。ザザァーー!!シャッ!!と大きな音をたてて、デッキが翻って風を切っていく。熱気で施設の巨大扇風機は全くの無力だ。




(か、かっこいい〜〜〜〜!!!)


 間近で見るスケボーの迫力に思わず見惚れた。みんな少し大きく緩めのTシャツに帽子を被り、VANSのスニーカーがキマっている。
 一方、わたしはというと…両膝、両肘、右手首のサポーター、そしてヘルメットを装着していた。暑いこの時期に完全防備ですでに汗だくだ。


(ダ、ダサい … なんか、わたし、ダサい …)


ブツブツ唱えていると、先輩がデッキを持ってやってきた。
「いいじゃん、初心者は安全第一ね!」
先輩はちょっと鼻で笑ったように見えた。
(…くぅー!)



 そして、初心者用にとても低く小さな設計をしてあるランプに促された。真ん中に上からロープが垂れ下がっていた。
「ちょっとまずは乗ってみ?」

そう言われて、特に何も気にせずに片足を乗せた。すると!


ドターーーーン!!!!!!!


あ…れ…???


何が…どうなったの???


 どうやら片足を乗せた途端、頭から後ろにすってんころりんと床に倒れたのだ。びっくりした…というか、ヘルメットや肘や手首のサポーターのお陰で頭も肘も無傷だった。
 転んで骨折して離脱したメンバーもいると聞いたので、一歩間違えると、わたしはカメラを持てずに休業になってしまう。
 ナイスヘルメット!ダサくたっていいんだ、安全第一。

「おー大丈夫か?膝を曲げて、ここのネジのところに足を乗せるんだよ」
先輩はロープを掴みながら、左足を先に乗せて、それから右足を乗せた。

恐る恐るロープを掴み、まずは左足。
そしてバランスとって、右足を乗せる… おー!乗れた!



「次は、ちょっと蹴ってみ」
 先輩はロープを掴みながら、左足を先に添えて、すぐに右足で床を蹴ってから乗せた。すると、スイーーーーーッと前に進んだ。

 わたしも同じく左足を添えて、右足を蹴ったら、バランスを崩して身体を残してデッキだけ前進した。

「あ、テールの方に体重かけ過ぎないようにね」
 テールとはスケボーデッキの後方のことを指す。


「あと足はまっすぐじゃなくて、こうやってデッキに対して横にするんだ」


 一通り乗り方を伝授してもらってから、一人になってしばらく夢中になって練習を始めた。練習すればするほどに上達していく。ロープを掴んでいたのを、掴まずに乗れるようになり、足を乗せることしかできなかったのに、蹴って足を乗せることができるようになった。



(やったー!…乗れるようになった…!)

 さっきまで後ろからすっ転んでいたのに、今はできるようになった。なんだか無性に嬉しい気持ちが心の奥底から湧き上がってくる。

 さっきまで出来なかった事ができるようになったのだ。それって、こんなに嬉しいものだっただろうか?



「先輩!わたし、できるようになっ……た…………」
 先輩がいる方へ叫ぼうとしたら、上級コースの巨大なランプでグルングルンと回転して高速移動しているのが目に入った。




(… す、凄い!あんなかっこいい事ができるようになるんだ!!)


 

 この感覚 … 忘れていたけど、この感覚だ。
 飛べなかった跳び箱が飛べたり、出来なかった逆上がりができた時のように、何かが1つ、また1つわたしの中へ吸収されていく。

出来なかった事ができる喜び。
「初めて」への心の高鳴り。
そして達成感と、どこからともなくやってくる自信。

1つ1つの感情が忙しい、高揚感のミックスジュース。

それから夢中で2時間必死で練習していた。汗だくで喉がカラカラだ。

「おーい!これ飲みな」
先輩がペットボトルを投げてよこした。
「そろそろ帰るぞー」
気づいたら、夜の22時半。明日も仕事だし、みんなで車に乗り込んだ。


「なーところで、なんで失恋したの?」

先輩は助手席から後部座席のわたしに話しかけた。

あ…!!!


そうだ、わたし、失恋したんだっけ???
そんなことはすっかりどうでもよくなってしまった。
この駆け抜けた2時間の疾走感と爽快感で頭がスッキリしている。


「わー!言わないでくださいー今の今まで忘れたところだったのにー思い出しちゃったじゃないですか!」
「そっか、ごめん!」
「…………」
「…で、なんで失恋したの?」
「ちょ、センパーイ!」
 恋愛話はどの世代も共通の話題だ。わたし以外先輩たちは全員既婚者だったので、わたしは格好の餌食だ。車内は永遠に賑やかだった。



 ピロリン♪


  "今夜も行くぞー”

  それから木曜日の夜は先輩たちに連れられて、スケボーしに福生や横浜などへ夜な夜な繰り出した。ランプハウスやスケートパークのあちこちで練習した。少しずつランプの中で左右に滑れるようになったり、坂を下ったりできるようになっていた。オーリーなどの技をするというよりは、乗って自由に駆け抜けるのが楽しかった。




 特にお気に入りだったのが、八王子の戸吹スポーツ公園にあるプラネットパークだ。グッドデザイン賞も受賞しているこの場所は、広大で初心者から上級者までの様々なエリアがあって、平日の夜だと空いているため滑りやすかった。屋外だと夏の夜でも涼しくて、スケボーで切る風が心地よかった。


 失恋で落ち込んでいたわたしは、スケボーしているうちにいつの間にか復活した。Thursdayのメンバーたちに夜に連れ出してもらった時間を忘れない。





 新しい体験が、新しいわたしを連れてきた。
はじめての出会い、はじめての試み、はじめての感情、忘れかけていた懐かしいこの気持ち、ぜんぶ一緒に連れてやってきた。


 大人になると、滅多にやってこないこうした大切で貴重な時間はかけがえのないモノとして、わたしの心の中にずっと大切にしまっている。


 汗だくになるこの夏。時折引っ張り出す。


 そして、また新しい自分に会いに出掛けたくなる。




 あぁ、わたしは心の底から笑っていた。

 あの夏、あの時、あの場所で。








ブォーン!


「よし、今日も行こっか〜」

後部座席にはサーフボードが2つ積まれている。
スケボーをしていたわたしは海へ繰り出す。


今度は旦那さんと2人で。


この記事が参加している募集

夏の思い出

ご覧いただきありがとうございます🐼 いただきましたサポートは動物園への撮影行脚中のおやつや、森永ラムネを購入させていただきます🐱 動物写真を愛でたい時はこちらへ🐻 https://www.instagram.com/yuricamera/?hl=ja