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音色にのって福のお届け


 

 熱気で汗だく、ピ〜ヒョロロ。
 踊れや踊れ、トントコトン。
 福を招くよ、手招きおかめ。
 見て笑えや、ひょっとこ口。



♢♢♢


 わたしは叔父が府中囃子保存会に所属していたので、3歳の記憶も残っていない幼い頃から連れて来られていた。叔父は姪っ子であるわたしを連れ出したかったようだ。その頃は、もう1人同い年くらいの女の子のたった2人だけの所属だったので、オトナたちは大喜びだ。わたしも無条件で可愛がってもらえる大勢の人によいしょされて、踊りを習うことになった。

 囃子の代表的な踊りのパートと言えば、キツネ、ひょっとこ、おかめ、そして獅子舞。
 そして4歳になった頃、そろそろ練習をすることになった。小さな女の子であったわたしは、最初にひょっとこを挑戦しようとしたが、わたしのなんとも言えない不思議な動きに、ゲラゲラとオトナたちを笑わせる能力だけ長けていたようだ。きっとお面を被らずに、口を尖らせ、変な顔をしながら踊っていたからかもしれない。
 なんでわたしを見て笑うのだろうと、首を傾げていたら、次の稽古の日には速攻でおかめに変わっていた。




 おかめは、両方のほっぺをふっくらさせたおたふく顔。ほっぺにはえくぼの窪みがあった。どことなく幸せが満ち満ちている表情だ。

 おかめの役割は「神楽で舞って、災いを避け、福を呼び込む」と聞かされた。踊りで重要な部分のほとんどは「両手」の動きで表現される。

 手。
 この手の動きに何年もの時間を費やした。

 指、掌、手首、腕、関節など全ての連続した動きを制さなければならない。



 そんな難しいことは何も頭に入らず、4歳のわたしは踊りの仕草を覚えるのに精一杯だった。でも、1つずつ覚える度に、周囲のオトナたちは笑顔で笑ってくれた。それを見て、わたしも嬉しくて、どんどん踊りを習得していったのをよく覚えている。


 神楽の仕事は正月、春のくらやみ祭り、夏から秋にかけての祭り、冬の行事、結婚式などのお祝いなど様々な場面で囃子保存会は活躍していた。
 1年を通して様々な場所で行われ、当時小さな踊り子が少なかったので随分たくさんの表舞台に立った。

 わたしたちの所属している団体が踊る出番出ない時は、他の囃子団体の踊りを長時間よく眺めていた。
 わたしに踊りを教えてくれていた師匠(おじさん)は、「見てごらん」とよく色々なおかめの踊り子の手に動きを真似していた。「手首の返しや動き、1つ1つに意味があるんだよ」と言って、踊りを踊って手本を見せてくれる度に、まるで「女性」になったのような動きに驚かされていた。


こうやって手首を払う…すると、悪魔が退散していくんだ」と言って、手先の先まで命を吹き込み、気品や強さを帯びながらも艶っぽい表現をする。

こうやって顔を両手で隠してごらん…女を魅せるんだ」と言って、着物の袖口の巧みな扱い方を知り、「女」のしなやかさや恥らいなどの表現方法を教えてくれた。


 おかめがどんな「女性」なのか。どう表現したら、福を呼べるのか、幼いながらも徐々に思考を巡らせるようになった。
 

 わたしはお面をかぶると、不思議な気持ちになった。
 何かがわたしに憑依したみたいで、おかめそのものになるのだ



 とあるお祭りでは連続で1時間も踊り続けたことがあった。
ひょっとこは不在のため、おかめのわたしが1人舞台。その時は山車の上から下にはたくさんの他所属の囃子連盟の大人たちがたくさん見にきていた。
手を翻し、着物の袖口を返し、腕から指先まで「おかめ」になりきった。


 踊りながら、お面の下のわたしはどんどん汗ばんでいった。狭い呼吸口は緊張しながら踊ると、どんどん息ができなくなるので、常に冷静さを求められるのだ。



 わたしはおかめとどんどん同化していった
何かのゾーンに入ったように必死で「おかめ」の舞を舞った。


 踊ってしばらくすると、小さな視界しかないおかめの目線の先には、わたしの手真似をする1人、また1人と増えていった。


 手首の返しをすると、同じように「こう動かしているのかな…」と大人たちが真似る。
 両腕を大きく振りかぶると、「素敵ね…」という声が口々に聞こえ、歓声が聞こえてきた。
 
 そして、しばらくして、おひねりがたくさん投げ込まれた。





 わたしは踊りながら高揚した
 今までずっと「おかめ」になれないままおかめを踊ってきたけれど、今日やっと「おかめ」になれたのかもしれないと感じた。
 1時間の表舞台がわたしを大きく成長させるきっかけになった。

 練習の成果は、すぐには結果に結びつかない。でもある日突然、本能のように呼び起こされるのかもしれないと、この時初めて自分の覚醒の瞬間を目の当たりにした


 山車から降りると、師匠が「今までで最高によかった」とたくさん褒めてくれた。
 拾ったおひねりの中には、500円、1000円、5000円など小学生のわたしにとって大金がたくさんだった。それからお祭りの屋台でたくさんのおやつを自分へのご褒美に買い込んだ。

 

 

♢♢♢


 おかめ役が評判になってから、ピッタリのハマり役になった。

 それから囃子保存会を辞めるまで、他の子たちは様々な役柄や太鼓などを代わる代わるやらされていく中、音色隊も他の踊り子もせずに、「おかめと言えばわたし」の専売特許になった。

 女性らしさの巧みな動きはすぐに習得できた訳ではなかったが、3歳から見て育ち、たくさん真似ては表現方法を日々考えていくようになった。自分の頭で考えるようになった小学生から飛躍的にわたしの身体表現のレベルが一気に階段を駆け上がった。





 平日の木曜日、今夜も稽古の時間だ。
 車返の神社の真横の小屋の中から笛や太鼓の音色が聞こえてくる。
 扉を開けると、小学校低学年から商店街連盟のおじさんたちまで様々な年齢層の男女が入り混じる。


 たくさんの人の熱が高まり、ピ〜ヒョロロと甲高い笛の音が鳴った。 

 太鼓の音に合わせて、すり足で中央へ歩み寄る。



 福を招くよ、手招きおかめは、今宵も福を呼ぶ。


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