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「かっこつける」ということ

「大学で学んだこと」なんて自分でいうのもおこがましいのですが、私個人の話をいたしますと「既存の学説を批判しつつ、決して完成しない実証性を追い求めることが学問である」という姿勢こそ、一番の学びだったように思われます。
そして、この途方もない道を歩き続ける人たちに畏敬の念を覚えました。というのも、学問の、既存の学説を批判して少しずつ乗り越えていく営みは私にとって、ぬかるんだ悪路を旅するように足取り重く、長い道のりと感じられたからです。

自分の主張を単なる思いつきではなく学問たらしめるためには、いくつもの角度から問いを立てて立体化し、夥しい数の史料や論文や文献をあたり、読み込み、比較しなければならない。その過程で、我田引水になっていやしないかと不安に駆られながら、自説の妥当性を見直し続けるわけです。
引用元の著者の意図をきちんと汲めているか、とりわけ外国語文献の場合は誤訳していないか、何度も読み返す。構成は適切か、論理の破綻はないか、内容に抜け漏れはないか。こうした思考と作業の一つ一つが、泥に足を取られるように重い。

しかもとりわけ人文科学の場合「絶対に正しい」といえるような学説は存在し得ないのです。どんな学説も批判され、否定され、乗り越えられうる。そうされてきた。
だから今言ったような努力は「決して完成しないと分かっている実証性を、それでも追い求める努力」ということになるでしょう。

すさまじい覚悟が必要なことだと思います。私は短い大学生活の中で、学問の世界のこういう覚悟を垣間見、少しは自分でも感じられたことが嬉しいのです。
それにきっと、似たようなことは社会に出てからも続くのではないかと思います。どんな分野でも、頭の中で考えるのに比べて、現実に何かを成し遂げることは、きっととても大変でしょうから。この意味でも、大学でのこうした学びはとても有意義であったと感じました。

さて、これから社会人になられる方も、大学院で勉学に励まれる方も、様々いらっしゃるかと思います。
皆さんがこれからゆく泥にまみれた悪路が素晴らしいものであることを祈って、私からの挨拶とさせていただきます。

ご清聴ありがとうございました。


挨拶やら身バレしそうな箇所やらは削ったが、以上は私が卒業式で行ったスピーチの原稿である。
「皆さんがこれからゆく泥にまみれた悪路が素晴らしいものであることを祈って、私からの挨拶とさせていただきます」──我ながら、よくもまあこんなにかっこつけた文章が思い浮かんだものだ。

いつもそうなのだ。いつだって私はかっこつけてきた。水面下で足をジタバタさせながら、一見すると優雅に水面を漂う白鳥のようにかっこつけてきたのである。

金がないのに酒を奢る。
「支払いにカードは使えますか?」「うちはキャッシュだけなんですよ」──そんなことを言われた日には、懐に忍ばせた子供の頃のお年玉のポチ袋からこっそり払わざるを得ない。
舞台裏まで見通せばダサいことこの上ないだろう。だから「金がない」なんて決して口に出さないし、ポチ袋は誰にも見せない。

不安なのに虚勢を張る。
「倍率二倍? 二人に一人は受かるってことでしょ? へーきへーき」──こんな風に飄々としていながら、本心ではいつも最悪の事態を思い浮かべてしまって、不安で仕方ないのだ。
陽気さや軽やかさは、内面の陰鬱さや猜疑心を覆い隠す最良の仮面だ。それに気づいて子供の頃に被りだした仮面は、今更もう脱げない。

このスピーチだって「自分は学問の世界でやっていける自信がない」ということを最大限かっこつけて表現したにすぎない。だからこそ、鉄人的な努力を続ける人々に「畏敬の念」を感じているのだ。
しかしそんなことは言えるはずもないので、最後まで自分を取り繕って「かっこいい総代」としてこの場所を去ることにしたのである。ボロが出る前に。

思えばいつもそんな調子だ。私は「かっこつけて綺麗に終わらせる」ことが性癖となっているせいで「失敗して苦杯をなめ、のたうち回りながらも先を目指す」経験がない。
ボロが出ないよう、あまり大きな挑戦はせず、堅実に「楽に手の届く」成果を積み上げ、嫌になったら無様を晒す前にさっさとやめてしまう。

だというのに、何の因果かこんなところにまで来てしまった。
きっと私は幸運なのだろう。器の小ささに対して幸運すぎたのだ。だから称賛されると「そんなに大層な人間じゃないのに」という気分になって、逃げ出したくなる。
けれども、逃げ出す──すなわち自分がこれまで登ってきた虚飾の高みから今更降りるのも怖くて、いつも「有終の美」を飾ることを選んでしまう。そしてまた、自分の弱さから逃げそこねるのだ。

これからも、ずっとこんな調子なのだろうか。分からない。
逃げたい。虚飾から自由になりたい。だが、それが怖い。自由になるということは、曲がりなりにも自分が積み上げてきたものを投げ捨てて、真っ逆さまに堕ちるということなのだから。

だから、まだしばらくはかっこつけたままでいよう。
なに、本当に限界が来たら、どのみち落っこちるしかないんだ。

だが、虚勢が張れるうちはそれでいい。かっこつけ上等じゃないか。

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