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視覚と啓蒙

「啓蒙」とは、くらきをひらくことである。
つまるところそれは「暗いところに光を当てるイメージ」を基底としているのだ。

では、光が当たったときにこそ初めて可能となるのは何かといえば、「見ること」だろう。
このように、「見ること」は「光」と結びつけられ、「知性」の象徴となる。

逆に、視覚以外の感覚は「暗闇」の中でこそ研ぎ澄まされるといえるかもしれない。
これらは暗闇の中で、対象とじかに触れ合うことで真価を発揮するような感覚だ。
だから、視覚とは異なり対象との距離を「近づける」必要がある。

更にいえば、視覚の対象(絵画、映像、本など)はその他の感覚の対象に比べて複製の歴史が長い。
最近でこそ聴覚の対象である音楽なんかも複製できるようになってきたが、音声の複製の歴史は、デッサンとか本の複製の歴史に比べるとずっと短いわけだ。
嗅覚・味覚・触覚に至っては「オリジナルと比べてもほぼ遜色ない複製を、いつでも楽しめるようにする」段階に入ってすらいない。

そう考えると、視覚は「万人に開かれたもの」という色彩をも帯び始める。
最高の料理に舌鼓を打つことは金持ちしかできないかもしれないが、最高の絵画はググれば誰でも見られるのだから。

対象の複製が簡単で安価。
明るい光の中にあって、秩序の安心感がある。
他の感覚と違って、対象に接近する必要がない。つまり安全圏から楽しめる。

だからこそ、五感の中でもとりわけ視覚が人を魅了するのだろうか。

(まあ、このうちいくらかは聴覚とも共通する気がするが……)

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