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現場は勝手に工夫する

相変わらず働いている。最近は現場にいる。

うちの本部は「徹底したマニュアル化によって、個々の従業員の工夫に頼らずとも現場が回るようにする」を旨としているようだが、ほんの少し現場を見ただけでも実情は違うと分かった。

「そこまで丁寧にやらなくてもいいよ」
「雰囲気で『なんか必要なさそうだな』って感じたら、あんまり説明しなくてもいいよ」

先輩曰く

もちろん、マニュアルにはこんなこと書かれていない。
「場合によっては多少適当でもよい」「雰囲気で判断する」なんて書くわけないじゃん?

しかし「雰囲気で判断する」ことができるなら明らかにその方が効率的だし、実際現場の人間はそうしてきたのだろう。マニュアルがあろうがなんだろうが。

一つの瓶の中をどれだけ「ルール」という名の小石で満たそうが、常に「工夫」という名の水が入る余地は残っているのだ。
そして「時と場合に応じて、いい感じに」と書けない以上、ルールやマニュアルには絶対に「完全になりきれない」ところがある。
全ての歯車が滑らかに回るような効率のよさは、結局のところ属人的な工夫の中にしか宿らない。

ひと目見ただけでも、そんな風に感じた。
まあ、本部はこれを聞いたら怒るのだろうが。

でも本部だってバカ集団じゃねーんだからさ、このくらいのことは分かっているはずなんだよな。
それでも「マニュアル! マニュアル!」と言わざるを得ないのは、本部が背負っているのが「そういう役目」だからなんだろう。ルールやマニュアルを作り、下達する役目。

そう考えると本部も気の毒だよなぁ。
ルールとか上意の「威力」って、上を離れて組織の下部に進むほど減衰していくんだもん。それで、最終的には止まっちゃう。

意志や力の押しつけとは、得てしてそういうものなのだ。
クラウゼヴィッツだって言っている。「攻撃側には、攻撃力が減退していってとうとう防御側と力が釣り合う限界点がある」と。
攻撃側を「本部のルール」、防御側を「現場の裁量」と置き換えれば、まんま会社じゃないか。

ともあれ、「意思を伝達する際に抵抗に遭いつつも、前に進もうとする」という役割は本部が自分で選んだものだ。だから頑張ってくれ。

いや、他人事じゃねーんだけどな。

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