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美しい温度

言うまでもなく、人の文化はヒトの五感によって制約されている。
芸術からポピュラー・カルチャーにマス・カルチャー、嗜好品・贅沢品から日用品に至るまで、あらゆるものは「ヒトの五感を楽しませる」ことを念頭に置いているのだ。

目(視覚)を楽しませるものとして、絵画や映像やファッションがある。
耳(聴覚)を楽しませるものとして、音楽がある。
鼻(嗅覚)を楽しませるものとして、香水やお香がある。
舌(味覚)を楽しませるものとして、料理がある。
肌(触覚)を楽しませるものとしては、例を挙げるのが少し難しいが、肌触り・手触りのよいものや入浴文化なんかがあるだろうか。

翻って、ヒトの五感で知覚できないものは、人の文化にはなり得ない。
例えば、ヒトにはピット器官がないから、我々の文化には「美しい温度」なんてものは存在し得ないわけだ。「美しい絵」や「美しい音」はあっても。

当たり前の話だが、私はこのことを面白く思う。
存在しない感覚を楽しませる、存在しない文化について思いを馳せてしまう。

仮にヘビ人間がいたら、彼らの文化にはきっと「美しい温度」が存在するのだろう。
そして、ピット器官を楽しませるための芸術だってあるんだ。いいなぁ。

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