ポップンミュージックの日記


ポップンミュージックの思い出
また長くなっちゃったから見出し作った



私の母のこと


1999年、小学生の当時、家に帰るといつも母がやっているゲームを横に座って見ていた
だからドラクエやマザー、ゼルダの伝説などのゲームの多くは横で見ただけで知った気になっている

母はゲームが好きというよりはゲームを買うのが好きという方が正しくて、さらに正確に言えばゲーム機と特殊コントローラーを買うのが好きだった
その頃発売されたゲーム機で持っていなかったものは一つもないと思う
「全部持ってないともしやりたいゲームが発売された時困るじゃん!」ってのちに聞いたら言ってた、王様だね

その日家に帰ると机に知らないゲームとでかい特殊コントローラーが置いてあった
見たこともないかわいい絵で、パラッパラッパーみたいだなと思ってすぐ興味が湧いた
ポップンミュージックだった

ディスクを入れて最初に選んだ曲はJ-テクノ
あの落ちてくる色をタイミングでひとつひとつ押すだけの易しい曲が当時のわたしには難しくて何度もやった
母はそもそも音ゲーに興味がなく買ったきり触ることはなかったから、この買うだけの趣味がなかったらポップンに出会ってないと思うと不思議だ
2まで買ってプレイしたけど、段々コントローラーの青ボタンあたりが壊れて光りっぱなしになったり反応しなくなったりで、ゲームはしまってしまった

家のゲームがゲーセンでできんの


"ポップンミュージック!"ってゲームの声が街中で突然聞こえた
えっ?と横を向いたらゲームセンターの入り口に"新台"みたいな紙が貼られたでかい筐体があった
驚愕した、これポップンミュージックなんだ!!と思った
何言ってんだって感じだけど、小学生はアーケードとかコンシューマーとか知らないんだわ
思わず前に立って、そのでかくてまるくてiMacみたいに透けたボタンを触って、"なるほど"と思った
これが本物だったのか、と思った

画面にはポップンミュージック5って書いてあった
5!? やばすぎ、とんでもない数字だよ
知っているゲームで、5まで出ているゲームはドラクエとFFしかないからね(ゼルダはタイトルが違うのでたくさんあるって気付いてません)
踏み台持ってきて200円入れてプレイした

緊張したな
今思ったけど、ゲーセンでアーケードゲームをやったのって、この時が初めてかもしれない
叩きながらずっと「そうだったのか…こういうことだったのか…」みたいなよくわかんない感情だった
そこからまた1年くらい、ゲーセンでポップンを見るたびにプレイした

全然関係ないけど、当時コナミの本社みたいなところでグッズが売ってるって買いに行ったことあったなあ
無人な上に普段行くことないウルトラオフィスだったから緊張した マジで売ってんの?と思ったらマジで売っててdeuilの3連グラス買ってもらった、あそこどこだったんだろう


唯一ジャンルと呼べたころ


ドラクエ7が出ただかなんだかでポップン熱はまた一気に冷めて(小学生は忙しいね〜)
マリィもジュディも忘れたまま中学生になった
クラスにも馴染んだころ、前の席の男子が絵を描いていた
上手で模写みたいに原作に忠実な絵、おかげでそれがなんの絵なのかすぐにわかった
「それってポップンミュージックのキャラ?」
聞いたら彼はちょっと驚いて「そう!」といった
ムラサキだった
「ポップン7のキャラ、もうすぐ8が出るんだ」って言われて笑った
何作作る気なんだよ!と思った

ここからの1年くらいが、唯一わたしがポップンミュージックを"ジャンル"といえた短い時間だった
学校帰りも休日も横浜のゲーセンでポップンをした
当時、横浜西口って本当にゲーセン激戦区で、3歩歩いたらゲーセンってくらいとにかくたくさん店があったんだ
ロケテストとかも盛んで、どの店もめちゃくちゃ人がいた
その中で私がよく行ったゲーセンは、トレルワンって店、みんな「顔のゲーセン」って呼んでた
そこでポップンは2階へ続く階段のすぐ傍にポツンと1台置かれていた
周りにたくさんの丸椅子と交流ノートが置かれていて、なんかもう"どうぞたむろしてください"みたいな雰囲気だったんだ
おかげでここでだけの友だちも居た
そのささやかな交流のほとんどは1.2年のものだけで、誰の連絡先もわからない
あやうい雰囲気の子も多かったけど、みんな私と同じ30代のおじさんやおばさんになって居てほしいって切に思う

その頃に国際フォーラムAで行われたライブにも行った
随分前の席だったけど、ムラサキの絵を描いていたあの男子が2階席にいると聞いて、一緒に見にきた親友と開演直前に会いに行った
「もーすっごい後ろの方なのよ」ってちょっとしょげてる彼と話していた瞬間に暗転して、客席の高まりと同時に爆音で流れたのは「禁じられた契り」だった
もんのすごい歓声だった、ライブの一発目で流してこんな盛り上がるイントロないでしょう
大慌てで「やべ〜!」とかいいながら階段駆け降りた瞬間の興奮、ほんと忘れられないな
このころほんと色んなことあったけど、一番はこの時かもしれないな

無断転載の動画載せて恐縮ですがこれだと思う
この聞かせるように落としたBPMが粋すぎる


美術部のやな先輩


大学入試でみんながピリピリしていた高3の春、私はろくでなしなので同級生が誰もいない美術部の部室でまだのんきに過ごしていた
入ってきたばかりの高1の後輩がキャッキャッしている時、私が入ってくるとぴりつくムードを感じた
そりゃそうだ、当時2年生の後輩はほとんどいなくて、美術部にいるのは高1のともだち集団となぜかいなくならない私だけだったから
ある日、その高1のひとりが部室に来て私しかいないのを見てちょっとどきっとした顔をした
コソコソなにか描き始めて、アニメのなんかだろうと思ったけど、嫌な先輩だから覗き見した
「なんのキャラ?」ときいたら、もうお察しでしょうけど「ポップンミュージックってゲームのキャラです」と言われた
そのキャラクターはヴィルヘルム
私もポップンやってたよ、といったら彼女は一気に明るくなって「学校帰りいつもいってるゲーセンがあるんで行きましょう!」といった
恐る恐る聞いた
「ポップンミュージックっていまいくつなの?」
「15ですよ!!」だって
また笑った、すっげーなこのゲームと思った

連れて行かれたゲーセンは町田のゲームUFO
たまらん店だよ…、最高だと思った、15歳がセーラー服でこんなところに1人で来てるなんてマジで昔の私みたいだと思って一気に仲良くなった
仲良くしてもらったという方が正しいかも
この曲が大好きなんですよ!と言われて選んでくれたのは"愛と誠"だった
ポップンの曲じゃねーじゃねーか!と思ったけど、こうやっていろんな音楽への入り口を作ってくれるゲームなんだよなと、隣のガンダムの筐体に座って彼女が叩く音を聞きながらしみじみ思った
それから卒業までの間はかなりの頻度で一緒にUFOへ通った
でもやっぱり卒業して彼女には一度も会ってない、筐体の前の友だちって希薄だけど一生記憶には残んだよな

we love ポップンミュージックなんだな


学生時代の私の記憶は、かなりゲームセンターにあって、それはポップンミュージックがあるからだった
頭も悪かったからいつドロップアウトしてこのゲーセンって居場所に入り浸ってもおかしくなかったけど、なんとか持ち堪えられたから今こうやって懐かしいなって話せていると思う

トレルワンがなくなるかなくならないかくらいの頃、HMVに行こうと横浜歩いてて偶然会ったかつてのゲーセン友だちが「いまから仁義なき戦い見るんだけどいく?」と言って、ついていったことをきっかけに映画学科を志したし、
その映画学科入ったばっかのころの同級生との宅飲みで「ポップンミュージックは4が最高だよ、透明なマニキュアは最高!」って言った男子とそれきっかけで仲良くなって結婚した

わたしがポップンミュージックと一緒にいた時間はこう書いてみればめちゃくちゃ少ないけど、生きてきた傍にこんな長寿タイトルのゲームがあったおかげで生まれた喜びがたくさんあったと思う
キャラクターや音楽のことに触れない輪郭の話だけでこんなクソ長くなっちゃうんだもんね

ポップンミュージック25周年おめでとう
いまシリーズ‥27作目!笑うしかないな
今日の日記はここまで


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