『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』 〜少年の成熟の可能性を問い直す〜 その1

ロボットアニメというのは本来、少年の成長願望の捌け口として存在してきた。
古くは横山光輝の『鉄人28』や『マジンガーZ』父親から授かった遺産(前大戦の不の象徴)を未熟な少年である所の金田正太郎、兜甲児が如何に正しく力を行使して(仮想の)成熟を測るのか?
そのコンセプトを一歩推し進めて展開したのが、あまりにも有名な富野由悠季による『機動戦士ガンダム』であろう。
宇宙世紀という架空年代史を設定して、偶然戦争状況に巻き込まれてしまった少年、少女達の心の葛藤を高畑勲が開拓した自然主義的リアリズムを富野なりに再解釈してあたかも現実以上にリアルな群像劇を描くことに成功して、当時の若者に絶大な支持を受けた。
その後富野は商業的要請もあってガンダムの続編を手掛けざるならなくり、『Zガンダム』『逆襲のシャア』『Vガンダム』などの続編群を展開するが、いずれもロボットアニメ=少年の成長物語(ビルディングスロマン)の全否定であり、富野が1stで提示した可能性を自己否定であったといえる。
(この辺りのことは宇野常寛氏の『母性のディストピア』を参照していただきたい)

そこで私はもう一人のアニメ作家をここで提示したい。
そう、高山文彦監督だ。
逆襲のシャアでガンダムの話が一旦一区切りになって、アムロやシャア以外の新主人公、富野を起用しなくてもフランチャイズを展開する新シリーズとして制作されたのが『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』であり、その監督として高山文彦が白羽の矢が立った。
高山文彦自身はアニメ界に於いてあまり本流の人とは言い難いだろう。
経歴に比して手掛けてる作品の本数はそれほど多くなく、富野、宮崎駿に比べてもメディアに露出する事を避けてるきらいがあり、中々資料的な裏どりも難しい。(ので作品内で描写されてる事象での言及に留める)

『ガンダム0080』は1stガンダムと同じ宇宙世紀0079年12月の一年戦争末期の時間軸で新型ガンダム NT–1 アレックスの開発計画とそれを追うジオン軍特殊部隊サイクロップス隊、それに巻き込まれてしまうコロニーの少年アルフレッド・イズルハ(通称アル)、ジオン軍新米兵士バーナード・ワイズマン(通称バーニィ)、ガンダムのテストパイロットのクリスチーナ・マッケンジー(通称クリス)の3人の男女を中心とした群像劇である。
これまであまりフィーチャーされなかったコロニーの日常の生活風景、学園に通う子供達などの姿を丹念に描かれており、そういった日常と対比する形でコロニーに侵入してきたMSや戦争描写を徹底して非日常として描いており、高山文彦自身は高畑勲の自然主義的リアリズムを富野以上にストレートに影響を受けていると言えるだろう。

アルは学園に通う10才程度の少年であり、バーニィも偶々サイクロップス隊に転属させられただけの実戦経験のない新米兵。
1stガンダムのアムロとシャアよりもさらに非力な存在として描かれていて、民間人と名もなき兵士達の隠された闘いを描いた群像劇である。
(『火垂るの墓』『この世界の片隅に』に系譜の中にある作品に組み込んでもそれほど不自然ではないはずだ。)

アルは学園に通うごく普通の少年ではあるが、教室では年頃のヤンチャな振る舞いをする一方で、母親や教師の前では勉強をしている優等生として振舞っている。
ここで注目しておきたいのはアルの周りの大人達は勉強とか偏差値とかそんな様な話しかしてないのだ。
高山文彦は戦争とか以前に社会の構成要員として取り敢えずの秩序とか規範の中に組み込まれる事に対してかなり懐疑的である。
その様なエリート教育の中での鬱憤をビデオゲームで取り敢えずは吐き出すしかないのだ。
そんな価値観の外側にいるのは近所の憧れのお姉さん的な存在のクリスである。
クリスもクリスもアルの前では陽気に振舞っているが、ガンダムのテストパイロットであることは軍事機密でありその事は黙っている。
アルにしてもクリスにしてもこういう二面性を抱えている。
ガンダム開発計画を察知したジオン軍サイクロップス隊がコロニーを襲撃し、戦闘状態になる。偶々アルの学園に不時着したザクのパイロットとバーニィと出会う。
バーニィはサイクロップス隊に偶々配属されただけの新米兵であり、実戦経験もない。サイクロップス隊の年季の入った出立ちやぶっきらぼうな態度を取られて明らかに隊の空気に馴染めてないで右往左往している。
そのバーニィに唯一心を開ける弟的存在がアルであり、ひょんな事から妙な友人関係が生まれる。そんなアルを引きつけてたいこともあってか「俺はジオンのエースパイロットで八面六臂の活躍してる!」みたいなありがちな嘘を付く。
ここで『真実』VS『嘘』という対立事項が浮かび上がってくる。
そんな日常を寸断する形でガンダム奪取作戦は実行されて、ミーシャの駆るハンドメイドMSケンプファーで連邦軍の駐留部隊を引きつけてる間、シュタイナー隊長達は基地内に潜入してガンダムの奪取を実行しようとするが運悪く連邦兵士と交戦になり、シュタイナー以下のサイクロップス隊員は次々と命を落とし、ミーシャのケンプファーもガンダムの前に倒れる。
結局バーニィ一人が生き残ってしまう。
そのことをジオンと内通しているスパイ兼バーテンダーのチャーリーに伝えるとどうもガンダム奪取に失敗したことに痺れを切らしたジオン軍の将校キリング中佐が核弾頭を使ってコロニーごとガンダムを破壊するという強硬手段に出るという。バーニィはクルーザーのチケットを受け取りコロニーから離れようとする。
ここでバーニィはアルに自分はエースパイロットではない新米兵で自分だけコロニーから逃げ帰ると伝えるとアルはそんなバーニィを厳しく糾弾する。
そんな中バーニィは空港の酒場の公衆電話前で何やら恋人と痴話喧嘩をしている娘の声を偶々又聞きしてしまう。

「仰せの通り、今出発するとこ、麗しのフランチェスカへね。厄介払いができて、さぞホッとしてるんでしょ?あの娘とせいぜい幸せに暮らしてね。
…酔ってなんかないわ!少しお酒を飲みましたけどね、全然酔ってなんかないわよ、酔えるもんですか…結婚しようって言ったのあんたじゃない!何よ嘘ばっかり言って!うぅ…行きたくないわよ!あんなとこに!フランチェスカなんて…フランチェスカなんて最低のコロニーじゃない!

今度の女もすぐバレる嘘ついてたらしこんだんでしょ。私の時と同じ!嘘を言い通す根性もないくせに!!」

アル、バーニィ、クリスにしても、それぞれの真実と嘘を抱えている。
アルは友人の前ではヤンチャな子供として、しかし母親の前では優等生として、バーニィはアルの前ではジオンのエースパイロットと嘯くが、実際は単なる世間知らずの新米兵。
クリスはアルのお隣の憧れのお姉さんとして振る舞うが、中立コロニーに非合法に開発されてるガンダムのテストパイロット(その事の欺瞞をジャーナリストに責められるが、彼女自身彼らに何もかけてやれる言葉もない…)

そして三者三葉なりにその欺瞞に対して一つの行動を起こそうとする。
アルとバーニィは学園の前で鎮座しているザクを改修してガンダムに挑み、クリスはクリスでこれ以上コロニーに被害に出さないために再びガンダムに乗り込む。
アルとバーニィが街中のジャンク屋からパーツを掻き集めて一緒に整備していく様はまるで文化祭の前で出し物の準備する若者達そのものだ。
嵐の前の静けさ…つかの間の平穏…

そしてガンダムとザクとの死闘の火蓋が切られた。

アルはしばらく疎遠になっていた父親を空港に迎えいれるのだが、その父親から連邦のコロニー駐留艦隊が戦闘になり、キリング中佐旗下のジオンの戦艦が沈んだという話を聞く。
それを知ったアルが闘いを止めようと急いでバーニィの元へ向かう。
圧倒的なガンダムの性能に対して、トラップを周到にいかしてガンダムの武装を無力化し徐々に追い詰める。

しかし一気撃ちにかけようとしてガンダムの無力化には成功するのだが、バーニィはコクピットにビームサーベルの直撃を受けて…

ガンダム0080は真実と嘘の物語である。
コロニーの住民からしてみれば、連邦軍とガンダムが非合法で開発されている件は単なる疫病神でしかないし、ジオン軍はただの傍迷惑なテロリスト。
誰にも祝福も歓迎もされない闘い…

アル、バーニィ、クリスの抱える真実と嘘は邂逅を果たすわけでもなく、分離していく、最後はアルの少年の成熟のための喪失の物語として締め括られる。

個々人が取り敢えずの規範や社会的立場を越えて行動を起こそうとするがそれが必ずしも社会的な成功に結びつくわけではない…

しかしこの0080のコンセプトをさらに推し進めた『超時空世紀オーガス02』ではその先にあるものを描こうとするのだが、これについては次回に回したい。







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