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「普通」を手放すことの価値と重み

わたし探求メディア「Molecule(マレキュール)」にて、取材記事を書かせていただいている。
働く子育て世代の生き方・働き方のヒントとなるような、「わたし」主語のワクワクを大切にした記事をお届けするのがコンセプトである。

登場するのは、いずれも自分の軸をもって生き方や働き方を模索している方ばかり。
お話は刺激的で示唆に富み、自分の中のさまざまな思いが共鳴するのを感じる。

そんな、記事に書くのにはあまりに個人的すぎる思いを、ここに綴っていきたいと思う。
「私小説的編集後記」とでも呼びたいようなシリーズになりそうだ。
どうぞ、よろしくおつきあいください。

今回はこちらの記事から。

「不登校は問題じゃない?外資系から介護への転身で見えた”普通”」

この記事の主人公である森山由記子さん(以下、森山さん)は、「子供は学校に行くのが普通」という考えを手放し、娘さんの不登校を受け入れた方だ。
同時に、ビジネスの第一線で活躍してきた自分のキャリアも大きく転換。
現在は福祉の現場でコーディネーターとして輝いておられる。

我が子の不登校を受容するまでにはいろいろな葛藤があっただろう。
そのあたりも語ってくださっているので、ぜひ上記の記事を読んでみてほしい。

普通を手放すことは、面倒くさいこと


森山さんは、「子供は学校に行くのが普通」を手放した。

私も、最近手放した「普通」がある。
「安定した職に就いて働き続けるのが普通」である。

大学を卒業してすぐに教員になり、公務員というかなりの多数派に属して20年以上生きてきた。
すばらしい教員生活だったなあ、と思う。
でも、私は今年の3月で正規の教員を卒業した。

一番の理由は、自分の人生のコントロールを取り戻したかったからだ。
公務員であることの不自由さ。
副業はもちろんできず、自分の名前で活動することもはばかられる。
教員という肩書もまた、時には重いものだった。
「先生なんだからプライベートでも後ろ指をさされないようにしなくちゃ」「先生のくせにみっともないことをしてはいけない」
そんな不自由さを日々感じていた。
(このような言葉をささやきかけていたのは、他でもない自分自身だったのだけれど)

教員を辞めて「複業」生活をスタートさせ、私は日々楽しく過ごしている。
嘆いていた不自由から抜け出して手に入れた自由。
サイコーである。

しかし、自由はすばらしいものであると同時に、ものすごく「面倒くさい」ものでもあった。

自分の立場をまわりの人に理解してもらうための努力や、少数派であるが故の事務手続きの煩雑さ。
いちフリーランスとしてひよっこでしかない自分は、仕事を開拓し、ゼロから信頼関係を築いていかなければならない。

「普通」の一員だった時には不自由さがあったものの、面倒くさくはなかった。
普通であることのレールに乗ってさえいれば、ある程度思考停止状態でも、いろいろなことは進んでいった。
大多数の中にいるので、まるで固まって寒さを防ぐ猿のように安心だった。

そんな中から抜け出してみて初めて、
「ああ、普通ってある意味ラクだったんだな」
と感じた。

だからといって、抜け出したことを1ミリも後悔してはいない。

自分だけの1着をつくる生き方

生き方を変えてみて思うのだが、「普通」は既製服のようなものではないだろうか。
街にはいろいろなショップがあふれ、それなりに選択の余地もある。
そこそこ自分に合ったサイズが選べるし、着てみても全然ヘンじゃない。
割と手に入りやすいし、上手に着こなしている人もいる。

一方、「普通」を手放す生き方は、オーダーメイドの服だ。
自分の体型や生活、趣味嗜好に合ったものをどこまでも追求できる。
ぴったりしたものが作れれば、この上なく心地よい。
自分だけの個性も光る。
一方、その1枚を作るためには大変な努力が要る。
採寸して、試着して、好きな生地やパーツを選び、仮縫いして…
ある意味とても面倒くさい作業だ。

私は今、必死で自分だけの一着を作っているところだ。
1日の時間の使い方を自分で決め、自分で道を切り開いていくのはかなり大変で面倒。
でも、人生の操縦桿を取り戻したような実感がある。

「学校にあだたぬ子」

話を不登校に戻す。
20年以上にわたり「学校の先生」として働く中で、
「この子に日本の公教育がしてやれることはあまりないな」
と感じる子と出会うことが何度かあった。
そういった子のことを、私は心の中で
「学校にあだたぬ子」
と呼んでいた。

この言葉の出どころは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』だ。

坂本龍馬が土佐を脱藩した時、土佐勤王党のリーダーであった武市半平太は「龍馬は土佐にはあだたぬ奴」と言った、と伝えられている。

「あだたぬ」とは、土佐弁で収まりきらぬ、包容しきれぬという意味の言葉。

学校という枠に収まりきらない子、学校という器では包容しきれない子というのが、確実に存在するのだ。

みんながみんな、坂本龍馬のようなバイタリティーをもっているわけではない。
むしろ一見目立たない子、おとなしい子もたくさんいた。
でもそんな子供たちの内面を垣間見ると、あまりに豊かで、
「学校ですべてをみんなと一緒にやるのはツライよねぇ」
と言いたくなることが度々あった。

それが、私が出会った「学校にあだたぬ」子たちだった。

普通を手放すことの価値と重み。
森山さんのストーリーは、自分を俯瞰するきっかけをくれた。

あなたが居る場所はどうですか。
そこでは、あなたはもしかして「あだたぬ人」なのではありませんか。

「不登校は問題じゃない?外資系から介護への転身で見えた”普通”」


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