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世界で一番可愛い犬の話

実家に世界で一番可愛い犬がいた。
あくまでも私や両親にとって、という意味である。見た目が優れている犬も、性格が愛らしい犬も、世界中にたくさんいるのは知っている。それでもやはり私達にとってはうちの犬が世界で一番可愛いのだ。
犬が亡くなってもうすぐ四年になる。この記事はそんな犬の人生(犬生?)のうちの、ひとかけら程のただの思い出話である。

犬は、父が連れてきた。
父の仕事先の知人宅で生まれた犬は柴犬とビーグルのミックスで、一匹だけビーグルらしい模様がなく焦げ茶の毛色だった。それが理由でなかなか貰い手がなく、きょうだい犬が新しい家族の元に行った後も母犬と暮らしていたのだという。
だが父はその子犬に一目惚れをした。父曰く、「どうしてこの子に貰い手がつかなかったのか」というくらい愛らしかったらしい。反対する家族を押し切り(言い出したら頑固な父に家族は諦めつつ)、その年の春に我が家にやってきた。
反対していたものの、元より犬好きだった母はもちろん、犬が苦手だった私も初日ですぐ犬の可愛らしさに陥落した。仕方がない。垂れ耳で、焦げ茶色で、黒黒としたつぶらな瞳で、小さなぽてぽての命が家に来てすぐ自分の膝の上で眠りだしたら抗う術などないのである。私以上に犬が苦手な兄以外は犬と暮らすことに文句はなくなった。
犬は焦げ茶の毛色にぴったりな名前を与えられ、そうして我が家の一員となった。

犬は、食い意地が張っていた。
どんなフードも好き嫌いせず器に入れたらたちどころに消える。なんならフィラリアの予防薬だろうとなんだろうとおやつの如く喜んで食べる。イタズラする時もだいたいが食べ物関連だった。
いつ何時もおやつを貰えるチャンスを狙っており、一番おやつをくれる確率が高い父のことをよく見ていた。いつだったか父がテレビの野球中継で贔屓チームのプレーに歓声をあげ機嫌良く犬におやつを与えたところ、それを学習したらしい。それ以降父が野球中継で大声を出すと「お父さん嬉しい?なら犬におやつあります!?」とおやつボックスの前で瞳を輝かせて待機するようになった。そんな犬のお腹はいつもふくふくぽんぽんで、私はそこに顔を埋めるのが好きだった。
もりもり食べるからかもりもり体重も増えた。心配した母が動物病院で体形について質問したところ、犬は標準体重であり、体重が増えたのはシンプルに元々の体格が良いからであった。単なる食いしん坊のガッシリ健康優良犬である。

犬は、外が好きだった。
どんな天気でも朝晩家族の誰かが散歩に行った。台風の日も犬がトイレをするのを待ってずぶ濡れになりながら急いで家に逃げ帰った。台風の危なさが分からない犬はそんな日でも外に出るのは嬉しそうだったけれど。我々の力不足でどうしても家の中で排泄することを覚えさせることが出来なかった。
犬は父との散歩が一番好きなようだった。リードを持った父が全力で並走してくれるからだ。「ゴー!」と言われたら走ってもいいと学んだ犬は、父を見ながら手加減し父に合わせつつも楽しそうに田舎道を走り、それを何度もねだっていた。
車に乗るのは苦手だったけれど、シーズンオフの海に連れて行ってもらうとフンフン匂いを嗅ぎながら海岸をご機嫌で歩いた。

犬は、家族には朗らかな子だった。
家族の車の音を聞き分けては寝ていてもすくっと立ち上がり、尻尾をバチバチに振り、家族が車から降りるのを二階の窓から見下ろすのが日常だった。私が一人暮らしを始めてからも、帰省の度にそうやってお出迎えをしてくれていた。犬のことが苦手で犬とは関わらないと決めそれを貫いていた兄にすら、犬はいつも歓迎していたように思う。優しい子である。
怖がりで家族以外にはなかなか懐かなかった犬だが、家族と認めた者にはニコニコ顔とバチバチ尻尾で「嬉しい」を表してくれていた。

犬は、少しずつ老いていった。
焦げ茶だった毛色は薄くなり、白が増えていった。そんな姿も変わらず愛らしかった。老いてもニコニコ顔とバチバチ尻尾と、ふくふくのお腹が好きだった。
その後皮膚に傷ができて噛んでしまうようになり、服を着るようになった。「赤が一番似合うね」「いや紺色もなかなか」などと言われながら着こなしていた。
それからトイレも間に合わないことが出始めて、散歩以外ではオムツをつけるようになった。嫌がって外すこともなく、オムツの穴から出た尻尾は可愛いままだった。夜中にトイレを求める頻度が増えても、両親はその度に起きて庭に連れ出していた。
しばらくして私の大好きなふくふくのお腹に腫瘍ができた。年齢的にも手術に耐えられない可能性が高いと説明されたらしい。両親は手術しないことを決めた。あれだけ食い意地の張っていた犬の食事量が減り、獣医からは犬の食べたいものを食べさせてよいと言われ、日替わりで変わる犬の食べたいものを両親は必死に買っていた。人間用の蒸しパンを食べる日もあれば、ウェットフードを食べたり、野菜なら食べる日もあった。若い時からなんでも苦労なく食べてくれていたから、帳尻合わせだったのかもしれない。

そうして晩年を過ごして、犬は静かに虹の橋を渡った。
明け方に両親をトイレに起こし、庭ですっきりした後、一番大好きな父に抱っこされ、二番目に好きな母に足を拭いてもらっている時、一瞬の痙攣で苦しまずに逝った。きっと犬にとっては幸せな最期だったと思う。というか、そう思いたい。
コロナ禍もあり、私は犬の最期の姿に会いに帰ることはしなかった。職業柄それは間違いだと思わないが、今でも最後に一回だけ痩せていてもいいから犬のお腹に顔を埋めたかったなと時々考える。

今後、我々家族が犬を飼うことは環境や状況的にきっとない。だからこれからも、どれだけ可愛い犬がこの世にいたとしても、あの子だけがずっと我々の中で世界で一番、たった一匹の可愛い犬のままであり続けるのだと思う。

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