“王貞治の一本足打法にある秘密は村上宗隆のバッティングにも在る” 8,066文字


2022年、ヤクルトスワローズの村上宗隆がシーズン最終戦の最終打席に、衝撃の打球音とともに、ライトスタンド上段に迫力満点の放物線を描くホームランを打ち込みました。
村上は打った瞬間、同僚のいるベンチの方向を向いて満面の笑みで喜び、そしてプレッシャーからの解放、その安堵を噛み締めるようにグッと染み入る仕草、表情でガッツポーズをしました。
それほど、飛んでいく先を確認するまでもない、文句なしの大ホームランでした。
画面越しには全国の野球ファンに最高の空気が流れたことでしょう。
嬉しいことに私のところには強く濃く流れてきました。
感動です。

王貞治のシーズン日本人最多本塁打55本の記録は1964年に記録されてから、並み居る歴史に名を連ねる偉大な日本人打者達の誰にも破られていませんでした。
村上が打つまでの間に55本の記録に追いついたのはタフィ・ローズ(近鉄)、アレックス・カブレラ(西武)
2013年にウラディミール・バレンティン(ヤクルト)が55本を超えて60本塁打という日本記録を生み出しています。
この時も凄かったですね。
38年もの間、外国人にしか到達できなかった高みに村上は二人目の日本人として上り詰めたのです。

タイ記録の55本まではホームラン数の増え方は順調且つハイペースでした。
世界初の5打席連続ホームランもありました。55本目を打った夜も村上はホームランを二本打っています。
しかし、そこは世界の王貞治が日本人には偉大すぎるのか、計り知れないプレッシャーなのでしょう。
知る術はありませんが、55本到達から最終打席を迎えるまでの13試合、60打席、ビタっと快音は響かなくなり、村上のバットは沈黙し続けました。
私は最初、バレンティンの持つ日本記録も更新するものと思っていましたが、その調子を観ていて、このまま日本人新記録も、手にしかけている三冠王のタイトルも逃がしてしまうんじゃないかと期待が萎みつつありました。
しかし、結果は令和初の三冠王も獲得。若干22才の若さです。これからどれほどの選手になっていくのでしょう。楽しみでしかたありません。
もちろんこれは言うまでもなくNPB最年少記録です。

三冠王も松中信彦(ダイエー)が獲得したのが18年前の2004年。
その前は更に18年前1986年のバース(阪神)、落合博満(ロッテ)。
この年はセ・パ両リーグで三冠王誕生と、凄い年ですね。
今回の話の分析対象アスリート王貞治氏は1973年、1974年の二回三冠王に戴冠しています。
将来はメジャーリーグに行くのであろう村上宗隆選手には前人未到の3年連続三冠王、
そしてバレンティン(ヤクルト)の持つシーズン最多本塁打の日本記録60本を、圧倒的に超えてもらいたいと期待してしまいます。
いやあ、しかし凄いホームランだった。
神宮球場で生で観たかった。

さて、今回、本題である
“王貞治の一本足打法にある秘密は村上宗隆のバッティングにも在る”
についてですが、
これは言い換えれば当時誰もやってない一本足打法が機能的に、エネルギー効率の良い優秀なバッティングフォームだったという話です。

その解説をしていきたいのですが、よりわかりやすくするために、
今からNPB(日本野球機構)の野球を勝手ながら“旧野球”と“新野球”に分けたいと思います。

昔の野球と今の野球、それは別物です。

令和に入り野球もめざましい進化を遂げています。
平成の怪物と呼ばれた松坂大輔が西武ライオンズに入団した24年前の1998年、
特に印象的だったのは1999年4月7日のプロ初先発の東京ドーム。
日本ハムの片岡篤を尻もちをつくフルスイングの空振りに仕留めた高めのストレートは、ど迫力で、圧巻の一言でした。
その時の球速は155キロ。
当時、高卒一年目の選手の投げたとんでもない剛球に驚いたことを覚えています。
松坂大輔は甲子園から引き続き、その日も度を超えたスーパースターでした。

令和の怪物といえば2022年4月10日に日本記録の13者連続奪三振。そして、そのまま完全試合を達成した千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希。
次の登板も八回で降板しましたが、連続して完全試合継続でした。
TVで観ていましたが、当然私だけでなく、世の中全体がざわついていました。
異次元です。
彼は高校生の時、高校生記録の163キロの球速を記録しています。

私は高校野球の大ファンですが、ここ20年くらい。
後にソフトバンクや横浜で活躍する寺原隼人が甲子園で150キロ以上の球速を出して、“松坂超え”と騒がれたあたりから、150キロを超える球速の球を投げる高校生投手が毎年当たり前のように複数人現れます。
今年2022年の高校生の世界大会、韓国のキムソヒョンは163キロの速球を投げていました。
アメリカのテネシー大学のベン・ジョイスは170キロの速球を投げています。

アマチュアからプロ野球まで、この20年余りの間の中で競技レベルは格段に上がっています。
ツーシームなんて球種も、呼び名も、松坂大輔のプロデビュー当初はなかったように思います。
そんな球筋の難しい球種が続々現れ始めるのは記憶も定かではありませんが、イチロー選手がメジャーに挑戦した2001年頃からではないでしょうか。
メジャーリーグではいわゆる江川卓のストレートのような直線と呼ぶにふさわしい、フォーシームと呼ばれる美しい回転の浮き上がるような球線を残すストレートではなく、
とにかくバッターがボールを捉える手前で球が動く、当時“汚いストレート”という表現をしていたと思いますが、ツーシームと呼ばれるストレートが主流になってきていました。

野球が“新野球”に変化したのはその頃だと思います。
ちなみにイチローはメジャー1年目、日本より先を進み、今までの日本の野球とは違う最新トレンドの野球の中で、
打率350、242安打し、新人王とシーズンMVPを獲得しています。
本当に異次元のアスリートでした。
イチローさんを旧野球の縛りに入れてしまうのは気が引けますが、今回の話の中では“旧野球”の選手です。独特なので一人だけ別枠でも良いのですが。
松井秀喜やイチローは旧野球から新野球への変化の過渡期を過ごした選手だと思います。

勝手な造語ですが、旧野球と新野球における打者のフォームの違いを話さなければなりません。

野球の競技レベルを引き上げたのは投手です。
投手の投げる球速、変化球の多さ、その組み合わせ方など旧野球と新野球では別物です。
そして投手の進化は昨今さらに進んでいます。
特にメジャーリーグの投手。
私はダルビッシュ、大谷の投球フォームの変容、進化を見るのが大好きです。
それに対応する打者が変容しないでいては野球の歴史的世界観が成立しません。
今年メジャーでもボールが飛ばない投高打低と言われる中、ヤンキースのアーロン・ジャッジはホームラン62本のアメリカンリーグ新記録を達成しています。
惜しくも獲得できませんでしたが、三冠王のタイトルにも手をかけました。
彼のバッティングフォームも一度しっかりと分析してみたいですね。
何かあるような気がします。
もちろん投手に追随して打者のレベルが引き上げられていきます。

どうレベルが引き上がったのか。
それは“効率”です。
野球に関わらず、人の運動動作に関して、求められるタスクの質が上がれば、機能に対して、素直に効率化して行かざるを得ません。
それは、個性とか、遊びの部分が徐々になくなっていくということです。
そのことから、野球として、エンターテイメントとして、魅力に溢れていたのは旧野球なのかもしれません。
新野球が突き進むほどに、合理化した野球になっていきます。
それはある意味つまらなくなってしまうのかもしれません。
投手の投げ込んでくる球が速く、変化が複雑で、その組み合わせも非常に難しい。
それに対応していくにはフォームに存在する余分を取り除き、効率を良くするしかありません。
旧野球における打者のフォームと新野球における打者のフォームは使用されるメカニックが違います。
イチローが海を渡るはるか以前、巨人V9時代、長嶋茂雄が日本一の人気を誇るエンタメ感溢れる間違いなく旧野球真っ只中において、王貞治は現在の新野球における打者のメカニックを駆使していました。
一本足打法の一番凄いところは“効率”です。

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