見出し画像

“与えられた正しさ”から離れて

昨日、SNSで知り合ったアーティストご夫婦の二人展を観に行った。旦那様が画家、奥様が彫刻家のご夫婦。お二人ともぼくの親ほどの年齢で、実際にお会いするのは初めてだった。

SNSとはネットワーク上の、文章なり動画なりの限定的な情報を通じたコミュニケーションだが、きちんと相手に向き合う人の言葉にはその人の人間性のようなものが表れる。

だから画家と彫刻家のご夫婦にお会いしたときも、今まで目にしてきたお二人のSNS上の表現とご本人たちとに違和感がなく、それは先方も同様に感じられたようで、お互い、ああと声が出た後に、微笑みが浮かんだのだった。

人は直接お会いするのが一番いい。相手の目を見て、相手の声を聞きながら、話に耳を傾ける。お互いの考えを伝え合う。他人の意見に触れることによって、新しい考えが自らの内に生まれる。SNSというフィルター越しより、直接会って話をする方が相手をよく感じることができる。

絵画も彫刻も、写真で見るのと実物をこの目で見るのとでは、とても大きな差がある。彫刻は言うに及ばず、油絵も絵の具の凹凸や絵の表面の質感などが作品に与える影響はとても大きい。さらに絵画には作品ごとに固有の焦点があり、どれほど距離をおいて見るかによっても、見え方がまったくちがう。

芸術作品とは基本的に三次元的な表現だ。だから、可能な限り同じ空間で直接見て、体験したほうがいい。

美に触れることは、人間にとってとても大切なことだ。だから小学校、中学校の義務教育において、子どもたちを実際に美術館へ見学に連れていくカリキュラムをぜひ行なってほしいと思う。年に一度といった特別なイベントとしてではなく、できれば毎月のように美術館へ行き、ゆっくりと自由に美術作品に触れる、そういう機会を学校教育のレベルでも増やしてほしいと思う。

一方で、美術館やアートに対して、敷居が高いと感じる人たちがいる。何をどう感じ取ればいいかわからない、という人たちもいる。

アートを鑑賞する際の評価軸がないため、作品に対してどう接していいのかわからないという人もいる。だが、アートの鑑賞方法を学ぶことでぼくたちは作品との向き合い方を身につけることができる。評価軸を知識として身につけることで、作品との距離の取り方をつかむことができる。

さらに大切なことは、美術館は正解を探しにいく場所ではないと気づくことだ。アートの正しい解釈、正しい感じ方というものはない。作品を前にしたぼくたちがどのように感じるか、それによって自分の中にどのような感情なり感覚なりが生まれ、作品を見る前と後で自分がどう変わったか、それだけが重要なのだ。

正しい鑑賞の仕方があるんじゃないか、自分はその正しい方法から外れているんじゃないか。そのような考えは不自由だと思うし、アートの本質から大きく離れているのではとも思う。

ぼくたちは生まれたときから、“与えられた正しさ”からなるべく逸脱しないように訓練されている。

誰かから与えられた正しさの基準が、なぜ正しいのか、それは自分にとって本当に正しいのか。そのような問いかけをすることなく、ただ正解として自分に取り込み、内面化することに、ぼくたちは熱心に取り組んできた。

社会的な規範や価値観を一人ひとりに刷り込むのは日本だけではない。どこの国でも行われているし、それが宗教上の価値観と一体化している場合は、さらに強い圧力となって個人の思考に刷り込まれる。そこから自由になるのはとても大変だ。自分なりのアプローチで物事をとらえ、既成概念を疑い、主体的に考える力が必要になる。そのためには、本当の意味での教育が求められる。

自分で考えることは面倒なことだし、時間も労力もかかる。それよりもご飯を食べて寝転んで、何も考えずスマートフォンやタブレットの画面を眺めているほうがずっと楽だ。

それでも、ぼくたちは自分で考えるべきだ。なぜなら、本当の意味での自由とは、“与えられた正しさ”から離れて、自分で考え、自身の手で自分の価値観を決めることから始まるからだ。

そしてさらに、自分が何を感じるか、どう感じるのか、その内なる声にぼくらはもっと耳を傾ける必要がある。

自分で考え、自分の心の声に素直に従うことができるという状態、それは自由ということだ。

もしあなたが自由であれば、アートの鑑賞を難しいと感じることはないだろう。そしてアートを自然に受け止めることができるということは、人の心を、精神を、そして言葉を超えたフィーリングを受け止めることができるということだ。

美に触れることによって、同時にぼくたちは人間そのものにも触れることができる。アートとはそのような素晴らしい装置だ。

そして、それを創り出すのもまた人間であるという事実は、ぼくにとってまるで奇跡のように思われるのだ。

ありがとうございます。皆さんのサポートを、文章を書くことに、そしてそれを求めてくださる方々へ届けることに、大切に役立てたいと思います。よろしくお願いいたします。