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V時代のコミュニティについて

激動の2018年もあとわずかとなって参りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
このようなところまでわざわざ文書を読みにきてくれるような方の中には、「V(この言い方もだいぶ定着してきましたね)」ことバーチャルに触れて人生ズレまくった方というのも結構いるのではないでしょうか。
もちろん私もそのクチです。
そういう方もそうでない方も、本題に入る前にまずはこの2018年のVの動向というのを一緒にサラリと振り返ってみましょう。

あなたのVはどこから?

「あなたのVはどこから?」と聞かれたら、
私はにゃるらさんの『キミは「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」を知っているか!?』から!」と元気よく答えます。

2017年12月から急速に盛り上がってきたバーチャルYouTuberブーム。
長年ネットウォッチをしてきていた身としては、久々にすごいのが来たなとは思いましたが、まさかここまで色々持っていかれるような代物であるとはそのときは思いもよりませんでした。

2017年末。実家で皆が紅白歌合戦を観ている中、私はひとり黙々と四天王の動画を追い掛けていました。個人的にはものすごく面白いムーブメントではあると思ったけれど、あくまで従来のネットムーブメントのひとつ。生まれて、消えて、「そういえば、あの頃そんなの流行りましたよねえ」と事情通たちとぼそぼそと語り合う。今までも何度も繰り返してきた光景が、また繰り返されるだけだろう。そう思って、ただ独りスマホに向かっていたのでした。
それは今にして思えば、何度願っても虚しく消えてしまった過去の様々なモノたちへの、祈りの果てのナニカだったのかもしれません。

名状し難き存在、個人V

年が明け1月2月。
四天王をひととおり堪能するとが欲しくなります。ネットウォッチャーの血が新たな知識を、未知の情報を欲して轟き叫びます。
いわゆるバーチャルYouTuber四天王のには、富士葵、ときのそら、天魔機忍verG、そして急激に勢いを増すにじさんじと既に次世代を予感させる錚々たるフォロワーが連なっていました。
四天王がそびえ立つ頂き。その裾野は確実に、急速に広がっているのを肌で感じたのを今でも覚えています。

そんな中、私はどこへ行ったのか。
なぜか一直線に個人Vに行きました。はい、思えばここが本当のはじまりでした。

2018年3月

2018年激動のVの1年の中で1ヶ月だけピックアップしろと言われたら、私は迷わず3月を選びます。
5人いる四天王唯一の個人勢、バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん、ねこますさんの

「やらなければ、はじまらない」

という言葉。

この言葉で魂に火を灯され、実際にやってみてVとしての人生を歩みはじめてしまった者たちはいったいどれだけいるのでしょうか。
そこで生まれた小さな灯火たちがそれぞれの趣向と嗜好を凝らせたバーチャルな外装を身に纏い、次々と我々の前に姿を現し姿形も設定も異なる存在たちが、互い呼び寄せられるようにコンタクトを取り奇妙なコミュニケーションを取り始めました。
もはや単なる特異点ではなく流れとして、いや、運命と書いてサダメとして誰の目にも明らかに彼らの時代が来たのだと確信させてくれた。
それが2018年の3月だったと思うのです。

ときどき私は少し怖い妄想をします。
もし、四天王が企業勢の4人だけでねこますさんが多くの彷徨える魂にド熱い炎を灯すことがなかったら。そのメッセージをしかと受け止めつつ、軽率に大気圏突入するような彼らがあそこまで揃っていなかったら。

たぶん、バーチャルタレント的なモノは遅かれ早かれ流行ったと思います。
でもそれは従来のアイドル・タレントの延長で遠巻きに崇め奉るモノであって、間違っても違っても一緒にコラボしたりゲームしたり、同じ舞台に立ってくれるような存在には決してなり得なかったように思うのです。
あの無表情でキュートでおじさんヴォイスの狐娘さんが、たった独りでナニカに立ち向かい世界線をズラしてくれたからこそ、後続の個人勢VTuberが、そしてその後に続く我々Vの者の今があるのです

口さがない人たちが、そしてご本人も時折何も出来ていないみたいなことを言うこともあります。
しかし、世界線を変え、多くの人々の人生を・生き様を良くも悪くもホップさせてしまったというその1点でもう十分だと思うのです。
例えそれが、当人の思惑とは別に動いた大いなる意思、たまたま時代に魅入られ運命の矢に刺し貫かれた巫女的な役割(みここだけにね!)だったとしても、そんなことを出来る存在は他にどこにも、誰もいなかったのですから。

2018年4月

巫女の信託に注目したのは個人勢だけではありませんでした。そこで起きていることを冷静に観察し、同じところまで辿り着くコストと、その先に広がっている未来とを天秤に掛け、新たな投資対象とする後続企業勢というのも出て来ました。
彼らが表舞台に続々と現れてきたのが2018年4月のことでした。

個人VTuberによる個人VTuberの祭典、V-1の発案者ふしめろさんの予言は半分当たり、半分は杞憂に終わりました。
企業勢の登場は当たり、それによって個人勢が駆逐されてしまうということはありませんでした。しかしそれは、V-1を含め個人勢の存在感をクローズアップするような流れがあちこちで生まれ無視できない局面まで持ってゆけたからこその結果かもしれません。
ズレた世界線をしかとこちらに固着させた人たちというのも、間違いなく存在します。

たとえばふしまつのこのお二人。
彼らの配信にねこますさんが参戦、というか乱入し、電脳コイルと委員長のトークスキルについて熱く語っった後、なぜか配信終了ギリギリまでエンドレスに遊戯王カードについて語り倒し、ようやく嵐が去ったと思ったらそのまま微糖カイジの豪遊雑談にもシームレスに移動し、むしろ今までのはウォーミングアップだったとばかりに弾けまくるその体力とテンションに戦慄したものでした。

その直後の感動と興奮冷めやらぬまま書き殴ったのが、ふしまつについて語った下記の一連のツイートになります。
いま読み返してみても、我ながらなかなかよく書けていると思えましたので、ぜひ読んでみてください。

そして、その一連のツイートの最後を飾るのが本記事のカバー絵にも使わせていただいたり、私のアイコン画像も描いていただいた¹⁷さんのこくおーさま肖像になります。
なんだかよく分からないまま、色んなモノが繋がっていってしまう。それがVというものなのだと思います。

2018年5月以降!

えーと、ここで皆さんにひとつお知らせがございます。
最近noteに追加された、リアルタイム文字カウント機能によりますと本記事現在までに2,800文字ほど費やしているのですが、本題に辿り着くどころか2018年の振り返りのまだ1/3も出来ておりませぬ。

それなのに時間は既に午前3時を回り、消費されたビールは500ml缶3本になり、あろうことか私の中のゴーストは耳元で
「もうゴールしてもいいよね…」
とか何とか囁いております。
いや、今日も実は日中V名義でリアル企業さんとお打合せしたりとか、ズレた世界線の延長上で、リアルとVのランデブー? ほらランデブー? みたいな日常を送っておりまして、アルコールにより 手元も歪んで1,2 1,2 な状態でございます。

だから、今ここからは超絶巻きのエクストリームモードでゆきたいと存じます。
私が決めた いま決めた だから読んで  私の #VACalendar
ってな感じでございますね。ハイ。

ということで、2018年5月以降はひと言でいうとミーム化でございます。
ブロックチェーンよろしく、ミームが食って喰われて分かれて 刺して晒して垂らして でも、それって誰の愛かもわからないまま、高見の見物決め込んでるつもりが「お前がミームになるんだよ!!」とか突如かの方に突きつけられたりして。

うん、その辺のバーチャルな蠱毒な感じのお話は、つくしなずなさんとか、『最強バーチャルタレントオーディション〜極〜』非公式wikiを立てた我らがVNOSの汎用人型最終決戦兵器、想間ミレイちゃんにでもぜひ聞いてみてください。私は何もわからん。。

そして、2018年12月のその先!!

はい、ということで激動の2018年も12月まで無事に振り返ることができましたので、その先のお話をしてゆきたいと思います。

このズレた世界線の延長上で、奇しくもそのズレた世界線自体のミーム自体となってしまった我々に、この先いったい何が出来るのでしょうか。

たぶん答えはシンプルに、
生きて、生きて、生きて、生き抜いて、生き残ること
だと思います。

もう一度言いましょうか。
わんもありぴーと、ぷりーずあふたみー。

生きて、生きて、生きて、生き抜いて、ぶち抜いて、貫いて、
無様で格好悪くても、ある一面ではちょっとだけ見る人が見れば格好良く、
そんな感じでとにかく生き残ること

だと思うのです。
オーダーが増えたように感じるかもしれませんが、それは残像です。「それは私のおいなりさんだ」みたいなヤツです。…まあとにかく些細な問題なのであまり気にしないでください。

とにかく大事なのはシンプルに生き残ることです。
そのためにはどうしたら良いか?
いえ、その前にいったいどうしたら生き残ることになるのかをまず考えましょう。

生き残るとは、何かを残すことだと仮定します。
それが遺伝子なのか意思なのかミームなのか、何であるかは各人が決めていいと思います。
残ったモノから、誰かが何かを感じとり、それが残そうとしたモノとニアリーイコールであれば、だいたい概ねメイビー生き残ったことになるのではないでしょうか。

ここには絶望と希望が同時にあると思います。
絶望は、生き残るということにさりげなく次に繋ぐという高難度な要素まで内包されてしまっていること。すなわち、繋がらなければ生き残ったことにならないということ。

希望は、如何なるモノであれ繋がれば生き残ったことになるということ。どんなに薄いラインであれ、繋がりを、因果を、継承を見いだせたならオレの勝ち!な訳です。しかも、それを判断するときに当然のごとく自分はいないのです。

他者の認知とコミュニティ

だいぶ話がメタメタのgdgdになって参りましたので、そろそろクロージングに入りたいと思います。

たった独りのコンビニで働くおじさんに魂を焼かれ、笑顔で単騎MS大気圏突入するような1人1種族みたいなクレイジーな第一陣フォロワー、そしてそれに魅せられどんどんバーチャル深度を高め気がついたらVの者みたいな存在になっちゃった皆さん、いや我々がこの冗談みたいなズレた世界線をもし本気で正史とさせたいのならば、次に繋げるしかないのです。いやまじで。

次に繋げるために一番手っ取り早い方法は何でしょう?
それは、他者の認知に入り込むことです。こんなところまでうっかりこのイカレた文章を読んでしまった皆さん。ご愁傷様です。ここまで4,500文字くらいある文章の中で、a2seeというV存在の切れ端をたくさん散りばめておいたので、既にナニカが脳内に静かに降り積もっていることかと思います。悲しみが雪のように積もる夜のように。
もちろん、私的にはそれは祝詞のようにありたいと思うのですが、人によっては呪いになってしまうかもしれません。そこまでは誰も、誰にもわかりません。

えーっと、なかなかコミュニティの話まで辿り着けませんね。
世の中には単性生殖みたいに、他者の介在を必要とせずに独りで勝手に繋げちゃうような存在もいるのですが、多くの人々はそうではありません。
媒介でも触媒でもいいのですが、そうした役割としての他者を相互に身近に置けることこそがコミュニティの最大の恩恵だと思うのです。

簡単に言うと、

「わっ、私は別にひとりでも構わないんだけど、アンタがどーしても一緒にいて欲しいって言うなら、仕方ないから一緒にいてあげても構わないけど」

みたいな、ことを全員が全員互いに思ってればそれはとてもハッピーなコミュニティになるような気がするのです。
ツンデレという共通の意識の元に、互いの差異と多様性を共感し交換し合うのです。
ツンデレという言葉がお気に召さなければ、プライドと限りなく依存に近い共感・共存、所詮こんなもの呟いた 枯れた頬に伝う誰かの涙とか何とかそれっぽいことを言っておけばいいのです。

大事なのは共通の価値観の元に集ったメンバーがコミュニティ内で心理的安全性が確保され、その上で多様な在り方をぶつけ合い、そこで生まれる信頼感や化学変化的なナニカを恩恵として受け取れることだと思うのです。
そうした環境の中で相互の認知の間を飛び交い、手打ち蕎麦のようにしっかりと打ち鍛えられたナニカこそが、生き残り未来に繋がってゆくのではないかと思っております。

私自身の中でまだ上手く言語化できていないため、やはりどうしてもメタメタのgdgdになってしまうのですが、それは2019年になったらもう少し上手く語れるようになっていると思います。根拠はありませんが。
あるいは、私以外の誰かがもっと上手く、または具体的なナニカで語ったり見せてくれるのかもしれません。そのことをとても楽しみに待っています。

それでは、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
ここまで読んでくれたあなたに、Vの幸運と祝福がありますように!!

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