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劇評・チェルノブイリ

※本稿はネタバレ要素を含みます。未見の方はご留意ください。

 中国秦王朝の二代皇帝、胡亥の宦官である趙高は、一匹の鹿を胡亥の前に差し出し「珍しい馬を手に入れました」と言った。
 胡亥が「鹿ではないのか」と問い返すと、趙高は左右に居並ぶ廷臣たちに「これは馬であろう?」と問い返す。
 廷臣たちは「馬です」「鹿です」と各々答えたが、鹿と答えた廷臣は、後に趙高の手により謀殺された。
 これは謀反を画策した趙高が、宮廷内の敵味方を見極めるために案じた策だという。趙高の権威を恐れた廷臣は彼に順じ、逆らったものを消したのだ。
 史記の一節「指鹿為馬」に記されたこの話は「馬鹿」の語源とも言われている。
 権威は時に人の人生を大きく狂わせ、故に事実を曲げることさえも容易い。扱いを誤れば馬鹿の誹りを免れまいが、この場合馬鹿者と呼ばれるのは、鹿と言った廷臣か、馬と答えた廷臣か、あるいは……。

 アメリカHBOが、旧ソ連で起きた原発事故をTVドラマ化。国内外でたちまち話題を浚い、エミー賞、ゴールデングローブ賞などの多くの部門で栄冠を勝ち取った、2019年を代表するミニシリーズである。

 1986年4月26日、午前1時23分。ソビエトの西端、ウクライナ北部の町プリピャチ市にある、V・I・レーニン記念チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が、突如爆発炎上した。
 理論上ありえないと言われた爆発はなぜ起きたのか。14エクサベクレルもの放射性物質を撒き散らしたこの爆発さえ惨劇の序章になりかねなかった、第二第三の事故は如何にして防がれたのか。そして最前線で事故収束に奔走し、事故調査委員会の責任者を務めたヴァレリー・レガソフは、なぜ2年後の同じ日に自ら命を絶ったのか……。

 いわゆる史実ものであるため、多くの人はその結末も含めて周知であろう。本作が卓抜しているのは、その構成だ。
 ドラマは上のあらすじでも書いた、レガソフの自死から始まる。仮に時系列通りに、彼の死を結末に持っていったとしたら、本作は彼の悲劇の物語にしかならなかっただろう。
 物語の軸はあくまでチェルノブイリ事故であり、彼の自死は(その是非は別として)それを無視させないための手段であったのだから、まず第一に描くべきは事故の悲惨さと、その収束に駆けた人々の姿であるべきだ。
 窓の外の遥か遠くで光る原子炉の爆発。数秒遅れて届く衝撃波。燃え上がる建物。逃げ惑う技師たちが、駆けつけた消防隊が、次々異変を訴える。混迷する現場を他所に、政治家や責任者たちは、思想と理念と建前で事故を収束させようとする。
 そうした混沌の中、レガソフをはじめとする科学者や官僚、そして現場に従事する名も無い人々は、被害の拡大と最悪の二次災害を防ぐべく奔走し、時に政治的駆け引きも加わる。
 夥しい死と苦痛で築き上げられた、この事故の引鉄を引いたのは誰か。目を覆いたくなる世界を体験した後、レガソフたちにより裁判で明かされる絶望的事実の数々に、憤りさえ掠めて脱力を覚えてしまうだろう。
 これは人災ではないのか?
 目の前で起きている事象でさえ蔑ろにし、権威を振りかざすように現場を仕切る男も、理想社会の大義のために情報遮断を決断する男たちも、国際世論に媚びるように振る舞う国家でさえ、趙高の轍を踏んでいるようにしか見えなかった。

 劇中、技師が咽び泣きながらバルブを開けるシーンがある。水を流すべき原子炉はすでに跡形もない。あらゆる数値と報告がそれを証明している。しかし上司は、炉心は残っていると頑なに主張し、左遷をちらつかせ、放水を強要する。
 原子炉がないということは、周囲は見当もつかない放射線が飛び交っているはず。逆らえば失脚、進めば死。発狂しそうな恐怖と重圧の中開くそのバルブの先には、なにもない。
 この1シーンが本作の、チェルノブイリ事故の有り様を強く物語っているようだった。

 趙高はその後、胡亥の殺害には成功するも、擁立しようとした子嬰により殺害される。
 事実を曲げることを権威の道具と履き違えた馬鹿者の末路は悲しい。だが事実を通した者の気骨は、今も語り継がれる。
 チェルノブイリから学ぶべき事実はどこにあるか。刮目してご覧いただきたい。

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