追悼・水木しげる

 出征先から届いた息子からの手紙に、左腕のない自画像が描かれていた。ああ、きっと腕をなくしたのだと、母は察した。
 それから母は、自らの左腕を三角巾で固定し、右腕だけで家事をした。少しでも息子の苦しみに寄り添いたいという親心だった。
 息子が戦地から帰った日、母はなくなった息子の腕を掴んで泣いた。 壮絶な戦争体験と、母の強い慈愛を一身に受け、ただ人間を描き続けた漫画家、水木しげるが逝去した。

 人間を、と書くと違和感を覚える方もおられよう。氏の代名詞とも言える存在は妖怪ではないのか?と。だが思い出して欲しい、妖怪とはどんな存在か。
 寝ている間に枕の向きを変える枕返し。師走の忙しい時期に家に上がってタバコを吸うぬらりひょん。川や沼に人を引き込む河童。どれもこれも人間の生活の中に現れ、多少なり関わろうとしている。
 妖怪は人々が暮らしの中で感じた不便や不快、時には畏れや慈しみが生み出すもの。人の営みのない所に妖怪は生まれない。氏が妖怪を描くとき、自然とそこには人間がいたはずである。
 水木氏の作詞したアニ版ゲゲゲの鬼太郎のテーマは、誰しも口ずさめるだろう。

 おばけにゃ学校も、試験も何にもない。
 おばけは死なない。病気も何にもない。

 日々齷齪し、生老病死に縛られた人間を見つめる妖怪の視線が、ここにもある。
 お互いを滅ぼしあうほど欲にとりつかれた人間と、愛するもののために身命を捨て尽くそうとする人間。その二面性を強く見てきたからこそ、氏の作品はこうも苛烈に人々を引き付けるのだろう。
 人々の機敏を映した妖怪を、世に広めた大功労者である。今頃彼らの大歓迎を受けているのではないだろうか。しばらくは夜の墓場が賑やかになりそうである。

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