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押井守の世界観 に行ってきた

 1月24日。東京電機大学千住キャンパスで行われた『中央図書館地域ふれあいトークイベント 押井守の世界観を語る~創作の魅力』に行ってきた。
 以下その内容を箇条書きでご紹介します。聞きながらの書き取りのため細部に不自然な点もありますがご了承ください

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雪の予報がありましたが、山のてっぺんに住んでるので、山降りれるかドキドキしましたw
犬に起こされてなんとか間に合いました

図書館の講演依頼は初めて
図書館小僧でした。親父が買ってくれなかった。親は一冊も小説を読んだことがないと豪語していた。
唯一うちにあった本が文学全集。
新聞を読むが本を読まない家でした。でもそれって当時普通だったと思う。

外で遊ばない子供だった。一番上の兄がクリスマスにだけ本を買ってくれる。偉人伝とか
今でも覚えてるのがファーブル昆虫記。

中学は紀行文にはまった。当時海外の情報はほとんど入ってこなかった
北杜夫「どくとるマンボウ航海記」を読んで、将来は船医になろうと思った。世界中を回れるから。

高校時代「運動」にかかわっていた。図書委員になって、どーやってそういう本を普及させるかと考えたw
あとSFも普及させようとした
図書委員として作家訪問のようなコーナーを作り、SF作家の家に入り浸るようになり、将来はSF作家になろうと思ったが、映画監督になってしまい、そこから作家になった。
監督には勝手になってた

図書館は大事な場所であり続けた。高校時代品川の図書館に週三で通ってた
図書館で勉強するのはかっこいいという風潮があった。あと「活動」するための口実になった。
のちにばれて図書館禁止令が出る

大学に入ってからは古本屋との付き合いに変わった
いかにお金を工面するかに砕心した。

思えばその頃、本は自分にとって所有するものではなかった。
アニメの監督になってから本を所蔵する必要に目覚めた。宮崎さんにおそわった「本は自分のものにしろ」

美術系の本は高い。ローンで本を買ったりする。好きな本を好きなだけ買える身分になったのはここ十何年。

映画を作る時必要な本を買いこみ、完成するまでそれ以外の本は読まない覚悟。
自分の立てた企画であっても映画にする時は本を読む。
熱海の書庫は蔵書で爆発。東京の仕事場の書庫もスタジオ書庫も。
一本の映画を作る時段ボール8箱くらいの本を買って整理することから始まる。検索できるようにスキャンする。
製作中スタッフが見られるようにしたが、だーれも見てなかったw 絵かきはPC見ない。紙に描いたものしか見ない。

資料持って来いって言ってウィキペディアもってくる奴は信用ならん。
制作助手に「図書館に行け」というと「図書館どこですか」と言われたりする

本の整理は独自のタグをつけること。
フランスのシネマ◯◯(聞き取れず)。主人の主観で整理されている古い映画館。その主人曰く
「本の分類は一種類しかない。小から大へ」

さいきん蔵書の断捨離を行った。LD,VHS,DVD……漫画は諸星大二朗いしいひさいちくらいしか残ってない。

「本を読むことは死人と付き合うこと」山本某

ある本と出会うためにはある本と別れるしかない。
「最後はみかん箱一個にしたい」小松左京

SFマガジンはどーしても捨てられない。バックナンバー買い集めたりして集めた。でも引っ張り出したことはここ何十年間ない。
本は持ってることでも付き合いが続く。

テキストと書籍は違う。
データになるものを文化と呼んでいいのか。
「ゲームはデータになっちゃいけない。ゲームはおもちゃでなくては」宮本茂
押井流に言えば、変電所にミサイル打ち込まれて消えるものを文化と呼んでいいのか?

図書館は絶版などの憂き目にあい消滅する本を残してくれる

13冊本を書いてきた。ほとんどうれてない。重版になったのは3つくらい。枕にいいと言われたりしたw

本である限り残る。図書館など本を回収するシステムは大事。

日本の図書館には不満を持ってます。
欧米では司書は尊敬される。8ヶ国語くらい出来て当たり前。予算もかけられている。本もさることながら人間が素晴らしい。
日本の図書館に世界に誇れるものはあるか。

人間は一冊の本に集約される

映画は文化にならない気がする。
人類は映像を残したいという思いはあった。
だが映像は言葉に勝てない。人間を人間たらしめるものは言葉。それを留めるのが本。
映画は夢のようなもの。だからこそ愛らしく切ない。

(手にした本を捨てていたっとして)最後に残った本があなたの正体なんだ。
自分が生涯通して守りたい本に出会えるか

36年やってて100万動員したことがない
でも作ってきた中で気に入らない映画も納得いかない映画もない
自分にとって最後の映画はなんだろう。自分の映画じゃない気がする。

自分の映画で一番気に入った映画は……言わないほうがいいかw

図書館と付き合うことと言葉と付き合うことは同じ
本を読む、買う、持ち歩く。すべて違うこと

聖書を読んだことない欧米人は意外と多いが、聖書のない家はない。
SFマガジンと同じなんだと思う。

本に関わる意味を考えないといけない。危機的状況にある日本の出版にあっては特に。

<事前に募集した質問から>

Q.実写化したい作品は?
ないw
やりたいと考えることはなくなった。来たものはなんでもやる

Q.音楽や効果音のつけ方に決め事はある?
映画の半分は音響で成立していると公言してきました。
個人的な趣味はあるが、それを使うかどうかは別。
ありものの曲を使おうと思ったこともあったが、川井憲次に出会ってからそういう考えはなくなった。
「絵から聞こえる音を書くだけです」川井憲次
そう言いながら引き出し山ほどある便利な男。
最近は年取って打ち合わせが減った。
ただ絶対楽器のセレクトには気を使っている。相当あーだこーだいい合う。
ガルムも楽器屋さんに行ってあれこれ鳴らして決めた。
無国籍少女はモーツァルトを使った例外。
モーツァルト聞きながら書いたので、それしか聞こえなくなった。
僕の音楽の趣味は関係ない。必要としてる音楽がそこにあればいい。

Q.犬は子供の頃から好き?犬のでる作品でオススメは?
もちろん子供の頃から大好き。20年くらい前から犬を飼った。犬のためになんでも出来る環境になるまで我慢した。
最近は猫も増えた(5ひき)。
犬と暮らしていて何が大変か。別れること。犬猫は一生子供のまま逝く。それでも動物と暮らすことは素晴らしいこと。人間のダメさがわかる。命の慈しみを素直に理解させてくれる。これがわからない人間はダメ。
オススメの作品はないですね。映画で犬が出てくるとだいたいひどい目にあう。動物や子供を泣かせる映画は大嫌い。
僕の映画で犬が出るのはテーマというよりご愛嬌と思ってください。ヒッチコックみたいなもの

Q.日常感性を磨く工夫は?
なんにもないw
磨くもんじゃないと思ってる。感性はその時々で変わる。国籍や年代でも変わる。
感性って言葉を使うとそれっぽいけど、感覚と言い換えていい。自分と他人が同じ感覚を持ってものを見てるとは限らない。
「色と食べ物について語るな」ローマの格言

Q.SFが現実になりつつある今、自身の作品が現実になる?
攻殻について、ネット社会の予言をしたかと言われたが、妄想しただけ。
口を使わずしゃべるのは、声優さんが芝居しやすいから首にケーブルさす表現も、犬のリードみたいなもの。繋がれているという意味。
映画は二、三年かかっちゃうので、流行なんかついていけない。
銭形平次もファンタジーなんですw

Q.実写とアニメの決定的違いは?
何度か聞かれましたが、生活時間が違う
実写はライブ、アニメは試行錯誤。
朝ちゃんと起きなきゃいけないのが実写w
もっとも決定的違いは美しい女優さんの有無wモチベーションが違うw
実写は仕事の後の酒がうまいwアニメの人間は大概不健康
監督料も桁が違う。アニメはいいので、そろそろアニメやらんとw
僕が楽しく作った作品はお金にならない。◯喰師とかw

Q.アニメのこれから
思うところありまくりなんですがw
結論言っちゃえば、だめでしょうw山は越えたと思ってます。
昔のような疾風怒濤の時代が来るとは思えない。アニメで映画作ることが不可能に近い。
アニメはお金がかかる。表現するにはあらゆるものを作らなきゃならない。それを回収する手がない。アニメ見る人間が減ってるから。
年間新作アニメ映画がじゃんじゃん出る時代は諦めてください。
今思えばアニメ映画見るために毛布かぶって徹夜したのはなんでだろう?っていう経験を削ってこれからの人は生きていく。

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<筆者註釈>
押井ファンならご存知とは思いますが、監督はとにかく早口でいらっしゃいます。なので正確に書き留めながら聴くというのが困難で、こういう形になりました。
故にここに書かれた言葉を、監督の今後の動静や仕事を推察する手がかりと考える事はなさらずに、ぶんぶん回る押井守の頭をちらっと覗いたというくらいに捉えていただければ幸いです。

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