浦沢直樹展 描いて描いて描きまくる  に行ってきた

 正月休み、いわきの湯本へ旅行に行った。
 朝、温泉に入れる公衆浴場で朝湯を浸かり、あったまった体で外へ出ると、頭の芯を冷やす風が何とも心地よく、この温もりを東京まで持ち帰りたいな、などと考えた。
 今、同じような心地で原稿を書いている。この展覧会から帰った直後なのだ。この熱をしばらく道連れにしたい。

 浦沢直樹。
 当代の漫画文化に触れたことのある人間なら、必ず耳にする漫画家の一人だろう。
 パイナップルARMY。YAWARA!。MASTERキートン。MONSTER。HAPPY!。BILLY BAT。個性的かつ深く熱い漫画を連珠の如く生み出し続ける、漫画史にあってその結節点の一人に数えられる漫画家である。
 本展はそんな浦沢直樹の経歴……否、歴史を一気に回顧する単独展である。長編デビュー作であるパイナップルARMYはもとより、小学校3年(!)の頃に描いたという長編漫画や、大学時代のノートに書かれた、各教科の教授の似顔絵までも展示している。
 圧巻なのが、YAWARA!の初回やMONSTERの最終回など、ファン垂涎の回をセレクトした生原稿。スクリーントーンの重なりやホワイトの厚みまで見て取れる生々しさを間近で見ると、まさに筆跡を辿るという言葉が似つかわしい感覚に襲われる。
 また氏がNHKと共に企画した『漫勉』のように、原稿を書く手元をただひたすら写し続けた映像など、恐らく同業者はずーっと見ていられるのではないだろうか。

 断言してしまうが、漫画が好きであった少年は、一度や二度漫画家になろうと夢見たはずだ。だが多くは道半ばも行かずに挫折したり、ふらりと余所の夢に浮気をするものだ。
 だが浦沢直樹は違った。5歳のとき、祖母の家の卓袱台で手塚治を読み耽り、その手で絵を描き始めた時から、まっすぐに漫画と添い続けた。
 その末に氏は、当代随一の筆致を獲得する。それが証拠に、今回展示されているMONTERの見開きページ(テンマとヨハンが対峙して、なまえのない風景に包まれるシーン。といえばファンはわかるだろう)を、縦3メートル近くまで引き伸ばしたパネルをご覧あれ。手元で見る雑誌のために描かれた絵にもかかわらず、このサイズにするために描きましたと言われても、何ら違和感のない描き込みに慄然とさえする筈だ。
 よくしゃべる人間を評して「口から生まれてきたようだ」と言うが、氏はペンダコから生まれてきたんじゃなかろうかとさえ思える。

 強い書き方は柄に合わないが、今回ばかりは言わせてもらう。漫画を稼業にしているもの、漫画に携わっているもの、漫画を愛しているもの、そして漫画家を志しているもの。それらすべての人間は、今手にしている仕事や予定を差し置いてでも、この展覧会に足を運ぶべきである。
 漫画はマラソンというより登山に似ていると聞いた。氏と同じ山を登れなくとも、その背中を見ることは何かにつながるに違いない。氏は間違いなく、当代最高峰の登山家なのだから。

 だが恐らく氏は、遮二無二漫画に打ち込んできたかと聞かれれば首をかしげよう。想像で話してしまって恐縮だが、氏は漫画と人間が好きなだけの男なのではないだろうか。
 ノートの片隅に描かれた教授の似顔絵や、イベントのために描かれたタレントや歌手の顔を見ると、驚くほど似ているのに、タッチはまるで浦沢直樹のそれなのだ。
 モデルに似せて描くというより、モデルを自分の絵に引き寄せてしまう力を持った漫画家が、打算や仕事といった気持ちで漫画と向き合ってるとは思いたくないのである。
 そう、まさにジョン・スタインベックがかの名言に託した境地がそこにある気がする。
「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」と。



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