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劇評・NAVY SEALS

※本稿は旧ブログからの再掲になります

 マリオテニスの生みの親、高橋氏が語った言葉が印象に残っている。
 テニスのゲームを作ろうとして、本物と同じサイズのコートや人間を用意すると、つまらなくなってしまうことがある。だから僕らは、テニスの面白さをデフォルメしたゲームを作ったんです、と。
 なるほど、左右の移動一つとっても、現実はそのスピードを調整できるが、ゲームは動くか否かの二択しかないことが多い。それは言わば、現実のプレーに枷をしているのと同じだ。楽しくなるはずもない。
 映画にしても同じだろうか?現実のスポーツをそのまま映画にしようとすれば、ストーリーやカメラアングルに制約が生まれる。スポーツとしては面白くなるだろうが、映画として面白くなるためには、やはりドラマ性や映像美にもこだわってほしいところ。そうなればスポーツとしてのリアリティは大なり小なり犠牲になる。作り手としては悩ましかろう。
 人の生死と国家の存亡を描く戦争映画は、ことこの二律背反に悩まされてきたジャンルかもしれない。まさか本当に戦争を起こすわけにも行かず、実際の戦場に行けば記録映像にしかならない。
 故に戦争の「何か」をデフォルメしてフィルムに落とし込むという手法は、以前から多く成されてきた。
 戦場をリアルに描くべくこの映画がデフォルメしたものは、ずばりその「リアリティ」であった。

 大国同士の戦争が終焉を迎え、大国対ゲリラという21世紀の戦争が幕を開けて十余年。
 米海軍特殊部隊SEALsに、人質救出作戦が令達される。南米コスタリカの麻薬王を捜査すべく、医師に扮して潜入していたCIA女性エージェントが拉致されたのだ。
 練磨された肉体と精神力、完成されたチームワークで作戦を遂行するSEALs。負傷者を出しながらも、人質を無事救出する。
 だが彼女が持ち帰った携帯電話から、新たな火種が発覚。SEALsは再び戦場へ降り立つ…。

 と、ストーリーは昨今お馴染みの、テロ対アメリカという基本構文。では何が突出しているかと言えば、キャスト。大物俳優を起用しているのではない。登場するSEALs隊員すべてが、本物の現役SEALs隊員なのだ。
 もちろん元軍人や現役特殊部隊隊員を、演技指導やアドバイザーに起用することは珍しくない。だがカメラの前に立たせる例は珍しい…否、全員を本物で揃えた例は皆無ではないだろうか。
 それだけではない。作中で展開される作戦は、スタッフが提示したシチュエーションを元に、演じる彼ら、つまり現役SEALs隊員が立案したもの。ストーリーの都合ではない、本物の作戦が展開されているのだ。
 しかも劇中に発射される銃は、ほとんどが実弾を発射しているというから恐ろしい。この映画のメイキングを是非に見てみたい。
 プロの兵隊とはいえ演技は素人。そのへんは大丈夫かと思えば心配無用。ガチで命のやり取りをしてきた男たちである。黙って遠くを見る横顔だけでも十分銀幕に映えるし、やっぱり外人さんは、こういうことをそつなくこなすのが上手い上手い。誰が役者さんなのかわからなくなるほどだ。もちろんテロリストは役者だろうが。

 現役隊員を起用し、リアリティをデフォルメすることで、他の戦争映画とは一線を画す何かが浮かび上がってくる。
 娯楽作ではない、記録映像でもない。迫力と生々しさを兼ね備えた、本当の戦争が、ここにある。

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