メモ・糸井重里

なにかを企画するとき、「最高にうまくいったらどんな感じになるの?」ということがちゃんとイメージできているか。これは、なにより大事なことだ。

困難な山登りにたとえるなら、山頂でにっこり笑っている場面だけでなく、のちのちその写真を見ている家族の表情だとか、それまでの苦労を酒を飲みながら話しあってる状況とか、成功したあとの「うれしいイメージ」があるか、ないか。実際には、ただただ目の前の課題を解決していって、尺取り虫のように前に進むという姿になるかもしれない。しかし、その地味な作業を続けていったら、その先にどういう景色が見えてくるのかが見えてなきゃいけない。

そして、まったくその逆に、「最もうまくいかなかったとき、どんな被害があるの?」ということについても、考えておく必要がある。こっちのほうは、イメージできなくてもいい。なにが失われるのか、どれくらい損失があるのか、痛手があるとしたらそれは回復可能な傷なのか、おもしろくもない数字や、ことばで、確認しておく。失敗は、ありえないことではないけれど、あったときに驚いて頭のなかがまっ白にならないこと。これだけは気をつけておく必要があるのだ。「失敗しても、この程度」という覚悟があれば、失敗について、いったん忘れていることができる。

ほんとうは、「最高にうまくいったときのイメージ」がまだ浮かんでないというときには、その企画は、進めてはいけないのだとも思う。最低でも、そのことに関わった人たちの笑顔くらいは、盛大にイメージできていなくてはいけない。苦虫を噛みつぶしたような会議で、消去法で出した結論で「これは決定です」というようなプランでは、まだ始めてはいけないのだと、ぼくには思える。同時に、失敗が冷静に見積もれないままで、いくらでも怖い想像が湧いてくるようなときにも、進めるのをいったん休止するほうがいい。「ほぼ日」の企画は、基本的にそんなふうに決めている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。始める前に拍手の音が聞えている状態が、いいスタートだ。

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