ガチョウ

著・足皮すすむ (2005年)

〜はじめに〜
きたる2004年初詣。私と妻のじゅんこは浅草のとある神社に訪れていた。
お目当てはモチーフオブチョークのロゴ入り掃除機だ。
MOCの掃除機は最新技術を取り入れた逸品で、吸引力が日に日に増していくという。
つまり今日より明日、明日より明後日、そして数年後には宇宙に散らばる星々さえも地球に吸い寄せるという、まさに能ある鷹は爪を隠すといった代物だ。
そんな掃除機をリリースしているMOCとは一体何なのか、私は気になってしまった。
頭狂大学掃除学部を主席卒業した私にとってこれは大きなテーマであり、生きる上で必ず解決せねばならない謎でも合った。
そして色々経て私はMOC社に転職した。
転職というのは非常に困難な道で、兎角お金がない。しかし仕事をしながらでも物は書ける。
そういう事でオフィスの一番目立ちにくい所でこれを執筆しております。
どうか立ち読みで終わらせず、買って印税をくださいね!よろしく!
じゃ次のページから本題が始まるぞ!チェケダウマザファカ!
   足皮すすむ 2004年 1月



ふぁあと大きなあくびが聞こえたのは真夏の日差しが暑く差し込むブラインドを持つ窓を壁に持つオフィスにあるいくつものデスクのひとつに座っているのが私だ。
正確にはデスクではなく、チェアに座っている。
しかしこれは本当に座っていると言えるのか。そもそも座るとは何か。立っている状態から寝るまでの状態で、その中間が座るなのか。では中腰はどうだ。正座は、、、。
その疑問を一手に担い解決に導いてくれるのが、椅子だ。
椅子。ありとあらゆる種類のものがある。ダイニングチェア、オフィスのチェア、ソファ、ベンチ、それから座布団やゴザも椅子と言えよう。
人のどんなポーズであれどそれに椅子を添えると、途端に「座っている」状態になる。何故か。椅子は座るためのものだからだ。
椅子を調べる上で私は4つのテーマを考案し、それぞれ独自の方法をもって研究した。

1, 椅子の上に座布団を敷くと、座っている状態が二乗になるのではないか
2, 椅子の上に置かれているのを知らずに座った際、一番不快な物はなにか
3, マイバッグやマイストローのように、マイイスを持ち歩いて1を過ごすと、一体どのような効能が期待できるか。
4, オリジナル椅子を作って爆稼ぎできないか
次の章より1から順に研究のプロセスと結果を記していく。

1, 椅子の上に座布団を敷くと、座っている状態が二乗になるのではないか
これは非常に哲学的な議題である。
まず私は木製の椅子と座布団を準備した。
そしてモンスーン吹き荒れる鳥取砂丘に赴き、「ガッデム」と言いながらセッティングした。しかしそううまくいかない。
風が強すぎて椅子が安定せず、椅子を置けたからさあ座布団と手を離すと倒れてしまい、座布団を一旦そこに置いてさあ椅子を立てようと思うと座布団が飛び、やっとの思いで椅子を置けたからさあ座布団と手を離した途端に座布団が、椅子の上を超えて飛び、この調子なもんだから、さあ椅子だと思えば座布団が、そして椅子を安定させようと座布団を手を伸ばし椅子に足をかけ固定し、座布団の行き先を見回すと椅子に、座布団すらもう砂に埋もれてしまい、足で椅子を感じながら砂に潜るものの呼吸が続かないが為に椅子を離し、手を伸ばした座布団の先に椅子が置いてあるのでそこに座布団を回し込むとそれを見てたかのようにモンスーンが吹き荒れるのだ。たまったもんじゃない。
私はロケ地を鳥取砂丘から世田谷の閑静な住宅街に変更した。
時計を見ると17時をまわっており、とりあえず妻のじゅんこが夕飯を作って待っているので帰宅した。
椅子には「ぜってぇ座るな。座った奴全員しね」と書いて置いておいた。

翌日。先日のモンスーンとは打って変わって素晴らしい天気となった。
6kmほど先に一羽のガチョウがいるので、私はリニアカーをレンタルした。
しばらく走っているとやはりガチョウはおり、抱きしめて名を囁いてあげた。
「ドルスペッチョ…」
ガチョウは、もう何も迷う事はないといった表情で、バサバサと羽ばたいて行ってしまった。
ガチョウのドルスペッチョ。私にとってこんなにかけがえのないペットは初めてだった。

2, 椅子の上に置かれているのを知らずに座った際、一番不快な物はなにか
一度や二度、経験があるのではないだろうか。椅子に座った瞬間尻部にとてつもない不快感が襲って来、椅子を見ると多くの場合食べ物が置いてある。
私の場合はくだものだった。バターの日もあった。スライムや人糞、貝類の盛り合わせ、その他様々なケツトラップがある。
では、最も不快だった物は何か。
それは島しゅんぺい。通称アイランド。
アイランドが出社すると、怪訝そうな表情をした彼の上司がこう言った。
「島君、こっちに来なさい」
「おはようございます権藤部長」
「おはよう。まずはこちらに。」
「権藤部長、どうしましたか?」
「来たら話すからとりあえず私のデスクまで来てくれないか」
「はい、すぐ行きます。その前にカバンだけ置かせてください。そして仕事前の気合いのブラックコーヒーを嗜み、溜まっているメールを一通り確認し、パチモンGOのログインボーナスを受け取り、さぁてボチボチ始めますかね?といった時に着信があり、なんだこんな時にとスマホを見ると最愛の妻からで、アナタお弁当忘れてるわよなんて言うもんですから、ああしまったすまないと返し、いつもそうなんだからもう気をつけなさいねと注意され、悪かった悪かった帰ったら食べるからそのままにしておいてくれと返すと、夕飯はあなたの好物カレーだから食べ切れるかしらと言うので、当たり前だろお前のために一生懸命仕事して帰ってお腹ぺこぺこさなーんて返して、それから他愛もない雑談を少ししたら通話を切り、さぁ真面目に仕事仕事!と思ったら電話の内容を盗み聞きしてた女子社員にフゥー!っと冷やかされ、っあんだよるっせぇなと少し照れながら返すと、島夫婦はラブラブなんですねなーんていいやがるもんですから、へへっと照れ笑いをしてからすぐに向かいます。」
「島君、いいからちょっと来てくれないか」
「なんですか」
「これ、給料」
「なんですかこれは」
「給料」
「いやですから、なぜ手渡しなのですか」
「それはこれが現金だからに決まってるだろう。」
「いえ、あの、どうして現金なのですか?」
「ふふふ島君、なんだね、銀行の入出金あれはデータでのやりとりで、お金そのものはATM機械に入っているんだよ。島君、君本当に天然だねえ」
「いえ、そうではなくて、何故今月分は手渡しなのですか。いつもなら私の口座に振り込まれるはずなのに」
「そりゃ、これが現金だからさ。島君、考えてみてくれ。私の手には今茶封筒があり、中に島君の給料が入っている。これを渡す最善の方法は振り込む事かね?手渡しする事かね?」
「その場合手渡しですが、何故今月分はわざわざ現金化し、手渡しをされているのでしょうか。
「島君、もう一度言うよ。よくきいて。君は先月一生懸命働いてくれた。だからもちろんその対価として給料が発生する。ここまではいいね?」
「はい」
「発生した給料は私のものでも社長のものでもなく、君のものだ。わかるね?」
「ええわかります」
「わかるね。だから君に渡すのは当然の事。そして私はそのお金が茶封筒に入った状態で今持っている。この右手だ。間違いなくこれは現金。そして私は君に渡そうとしている。ここまでも大丈夫かい?」
「いえ、そこがわかりません。現金ではなく、振り込んでいただければ幸いなのですが、どうしても現金でないといけないのでしょうか。現金で手渡しする理由を教えてください」
「だ・か・ら!これが現金だから手渡しするしかないのよ!これが現金だから。わかる?」
「あの、いえだからその…なぜ現金なのでしょうか。」
「ここに存在するから、現金なんだよ。」
「ここにあるのは何故ですか?」
「何を言っているんだね?ここに現金がある理由が知りたいのかね?」
「はい」
「うーむそれはもう哲学とかの世界になってくるよんじゃないかな。」
「なりませんよ権藤部長。先月まで振り込みでしたよね。明細も自宅にあるのでお見せできます。それが何故今月分、わざわざ現金として給料が手渡されるのかを知りたいのです」
「うーーん、島君、君と私とでは何か大きな違いがあるみたいだね。私が先から"現金だから手渡しする"と言っている意図は分かるかね?」
「ええわかります。現金となってしまった今、手渡しするのが最善の方法です。」
「はい論破」
その翌日アイランドは辞職した。

3, マイバッグやマイストローのように、マイイスを持ち歩いて1を過ごすと、一体どのような効能が期待できるか。
巷では環境配慮の傾向が強くなり、マイバッグやマイストロー、マイ箸など、使い捨てを提供される前に自前を持参する傾向が強くなって来た。
椅子もまた使い捨ての側面を持つ。なぜなら長い目で見た時、壊れた場合に捨てるからだ。
そこで私は、椅子もマイ何やらと同じ扱いを、つまりはマイイスとして持ち歩く事にした。
またそうした際のメリットやデメリットも知りたいからだ。
朝、身支度を終えた私は意気揚々とものすごい勢いでドアを開けた。
その際にドアを挟んでそこにいた配達人・嶋崎ポ夫にぶつかってしまい、嶋崎の眉間にゴンぶと1本線を作り上げてしまった。
嶋崎は怒り狂い私の胸ぐらを掴もうとしたが、甘い。私は過去にアサシンとして生計を立てていた者。体術を用いた戦闘はお手のものである。
スッ…
避けたと思った、いや避けていたはずだ。しかし私の顎下、鎖骨のやや上にヤツの拳があった。
そしてワイシャツの襟部分を掴まれている感触もあったのでひたすら謝った。

シリアル専門店として有名な「ムーチョ」という店が代官山にある。
私はムーチョに入り席に案内されると、待ってましたとばかりにマイイスを置いた。
「お客様、これは…」
「何かね」
「この椅子はお客様の物ですか?」
「何か不都合でも?」
「いえ、ただ椅子を持参される方は珍しいので」
「問題があるのかね?」
「とんでもないです。どうぞごゆっくり…」
「言われなくてもそうするよ。ゆっくりする為の椅子だ。椅子に座りながら急ぐ馬鹿がどこにいる。君はそうするのかね?そういう人間が働く場所なのかここは。どれ、この目薬シリアルとかいうのをくれ。3分以内に持ってこい」
「承知いたしました。ご注文を復唱しま…」
「はいはいはいはいはいうるさい」
「申し訳ございません」
去っていく店員にわざと聞こえるように舌打ちをし、目薬シリアルを待った。
2分後、本当に3分以内で持って来たもんだから褒めてやろうか悩んでやった。
「お待たせいたしました。目薬シリアルでございます」
「知ってる。それを注文して、器を持ったあんたがここに来たって事はそうでしかない。さっさと置いて。」
「私がこの目薬を上から垂らしますので、お好みの所でストップを言っください」
「なぜストップなの?『とめろ』『やめてくれ』『よせ』『その辺にしておけ』ではない理由は?シリアルなんてハイカラなもんだから英語がカッコいいとでも思っているのか?おん?」
「お客様のお好みの掛け声で構いません。それでは垂らしますよ」
「早くしろウスノロ」
チョピ、チョピ、と一滴ずつ目薬がシリアルに垂らされていく。
私はそれを見もせずに大きなゲップをかますと、そのままスマホをいじってやった。
しかもわざとらしく、音量を最大にしてゲームをしてやった。
そしてしばらくすると目薬は1ケース使い切ってしまい、次のケースが開けられた。
チョピ、チョピ、店員は文句ひとついわず垂らし続けている。
スマホゲームをする傍ら、どんな顔して目薬を垂らしているものかと店員をチラチラ見てほくそ笑んでやった。言われたままにしか動けないロボットだなこいつは。しばらくすると、
「お客様…?」
「あん?」
「まだ垂らしますか?」
「お前が適度な所でストップと言うルールを提示したんだろ?お客様が従ってやってるんだから急かすな。オレがストップというまでは惨めな奴隷のように垂らし続けてろ。なんならこのままお前が寿命を迎えて死ぬまで垂らし続けさせてやる。よし決めた。いいな今から覚悟しておけ。」
「かしこまりました…。」
チョピ、チョピ、丼は目薬でいっぱいになろうとしていた。
相変わらず私はスマホでゲームをしたりネットサーフィンしたりネトフリを見たりして…しばらくするとウトウトしてきた。
妙に居心地のいい店内、一定の間隔で鳴るチョピ音、座り心地のいいマイイス…。
私はいつの間にか寝ていた。
そして、違和感を感じて目を覚ました。
なんとくるぶしの辺りまで店内が浸水しているのだ。
「おい君、洪水かね。いや外は洪水ではない。むしろこの店内だけが…まさか…」
浸水の正体は目薬。私は慌てて店員に言った。
「おい、おい君もういいストップだ。よせ。店内が水浸しじゃないか」
「いいえ、お客様は先ほど『寿命を迎えるまで垂らし続けてろ』とおっしゃいましたね。私はそれに従います。そして私は不死鳥の家系なので、2億年ほど生きます。ちなみに今は18歳。」
「いやいい、取り消す。私が悪かった。もうこの辺にしてくれ」
「いいえそれは出来かねます」
「なぜだね」
「あちらの壁をご覧ください」
そう言われるので壁面に目をやるとこう書かれていた。
"ストップシステムのメニューに関して、お客様都合での取り消しや作り直しはいっさいお受けできません。予めご了承ください。"
私はとんでもない指示をしてしまった。この不死鳥の家系の店員、名札にミチコッペと書かれているこの女性、あと2億年弱は目薬を垂らし続ける事になってしまった。
「おい君、不死鳥様、すみませんでした。」
「ええ、謝辞は受け取ります。怒ってはいませんのでご安心を。」
「では目薬をストップしてくれ。このままでは溺死してしまう。」
「それは出来ません。お客様の指示は絶対、これが接客業の基本です。」
「今回はイレギュラーだ。出来ないことを出来ないと言うのも接客だ」
「いいえ、イレギュラーが発生しないよう店のマニュアルは完璧に頭に入っています。これもひとつの接客スタイルです。」
「そんな…」
私は困った。目薬は相変わらず一滴ずつ注がれている。少しずつではあるが、確実に水位は上がって来ているのだ。
そして、3日後。
私はなんとか浮いているテーブルや椅子にしがみつき生きていたが、周りには溺死した死体もいくつか浮いている。
そうだ、窓を割って外に出て警察に連絡を…
私は泳いで窓際に寄り、近くにあった硬いもので思い切り窓を叩いた。
何度も何度も叩いて、やがてそれは大きな音を立てて割れた。
ザッバーーーーーーーンヌ!
大量の目薬とともに外に放り出された私は、びしょ濡れのまま走って警察署へ駆け込んだ。
「す、す、すみません。かくかくしかじかこうなんです」
「なんて事を…」
すぐに警察が出動した。そして交渉を試みるもののいっさい受け付けない。
「お客様のご指示ですから、私は寿命を迎えるまで垂らし続けます。」
警察では埒があかず、この先数年で起こる惨事を想定して武装した軍が送られて来た。
土嚢が店の周りに敷かれると、ミチコッペの眉間に銃の照準が向けられ、一触即発といった感じだ。
「抵抗はよせ、今すぐその目薬を止めるんだ」
「不可能です。あなたにそんな権限はない。お客様ではないのですから。」
「では私が入店し、客としてもてなしてもらうのはどうだね。それなら私の指示も聞かなくてはならない」
「さっき窓が割れたせいでとても営業はできません。窓が割れた状態の店でお客様はお迎えできない」
「では窓の修理業者を呼ぼう。」
やがて業者が窓を運んできた。幸い目薬の勢いは一滴ずつ。足元にさえ気をつけていれば施工は簡単だった。
そして店が元通りになった頃、店の周りにまで目薬は広がっていた。
「君、店員の君、ミチコッペさんだね、ミチコッペさん。店が元通りになった。私を客として迎えてくれザマス。」
「それはできません。」
「なぜだ。」
「この目薬のせいで私以外の店員は皆溺死しました。そして生き残った私も、今は接客対応中です。それに約2億年後まで接客対応が確定してしまっているので、この目薬シリアルを注文されたお客様の指示以外はお受けできないのです。」
「そんな…なら、君!突っ立ってないで彼女に指示を!」
軍は私がキーマンだと察し、私にミチコッペへの指示を仰いだ。しかし…
「無駄だ…私だってこの数日間交渉してみたさ。でも彼女は店のルールだからと、一度出した指示を聞きやしない…。」
「もうおしまいだ… … …そうだ!」
何かを閃いた軍人の1人、名札に、まさのぶみちと書かれているその男が誰かに連絡をとり始めた。
「どうか殺傷許可を…!このままでは時期に世界中が目薬で埋まってしまう!」
そしてトランシーバーから"いいよ"と殺傷許可がおり、ミチコッペに向けられていた銃の一つが放たれた。しかし…
「仕事中です。よしてください。私は不死鳥の家系。銃どころかミサイルや核、はては毒ガスや放射能、圧殺なんかもいっさい効きません。不死鳥という名の通り、寿命以外では死なないのです。」
「そんな…」
翌日には新聞にもなった。ニュース番組はこの事で毎日特集続きだ。人々は接客のあり方について議論したり、国を挙げてミチコッペデモが行われたり、世界中の有識者が集まり彼女にストップをかけた。しかしどれも失敗に終わった。

ーーそして6千万年後ーー

見渡す限りどこまでも続く大海原。生物がいなくなり、陸地も元の半分ほどしか残っていないこの惑星では、今でも海底から1人ひっそりと少しずつ水位を上げている者がいた。ミチコッペだ。

ーーさらに8千万年後ーー

地球はついに水で満たされた。
全ての大陸がとっくに海の奥底に沈み、かつて生き物がおり文明が栄えた痕跡など微塵も残ってすらいなかった。
元々あった海水の数倍の量を目薬が占めており、もはや海水の概念すら変わってしまった。
しかし人類が絶滅した今となってはそんな事どうでもいいのだ。

ーーそして、さらに4千万年後ーー
ついにその時が来る。シワシワおばあさんになったミチコッペが、最後の残り数滴の目薬を垂らし終えようという時が来たのだ。
思い返せば本当に長い道のりだった。人生のほとんどをこの作業に費やした。
最初はシリアルに入れているだけの目薬だったが、やがてそれは池を、沼を、川を、海を作り上げた。いや海以上のものを作り上げた。
大陸を覆い、山を埋め、空にまで到達し、生物植物すべてを死に追いやった。
いわばリセット。文明のリセットなのだ。

ーー全てが終わったように見えるが、実はまだ終わっていないものがある。
それはわたしたちの地球だ。地球はそれでもなお生きている。
ミチコッペの死後、日光で徐々に海面は下がっていきやがては陸も顔を出すだろう。
そして何らかの方法で偶然生き残った1粒の何らかの種が芽を出し、新たなる文明の第一歩を飾るだろう。
しかしそれはまだずっと先の話だ。それに誰も知られる事はない。2億年生きる不死鳥ですら見届けられないほど先の話なのだから。
わたしたちの住む地球。自然が歴史を作り、過ちが歴史を終わらせる。
もうほとんど廃人のようになってしまったミチコッペが、ついに最後の一滴を出し終えた。
「ああ、これが私の人生だったんだ」
そう言ってミチコッペはその長き生涯を終えた。


4, オリジナル椅子を作って爆稼ぎできないか
お金の稼ぎ方は人それぞれだ。それに今の時代多種多様な職業がある。この先も増えていくだろう。
しかしその根底はやはり、需要と供給という土台がある。私は座りたいという需要にオリジナル椅子を供給しようと考えた。
そもそも人が座るのは何故か。例えば食事の時、運転する時、カフェ、レストラン、勉強、多くの場合トイレでも座る。つまり座る事とは生活する事なのだ。
では、椅子にフォーカスを当ててみよう。形に多様性はない。座るためだけのものだ。
しかし手すりや脚には改良の余地がある。私はここに目をつけた。
“椅子を、丸一日使えるツールにする。”
メガネや腕時計のように、一日中使えて尚且つ必需となりうる物にしようと考えたのだ。
手すりとは何か、椅子の脚とは何か。その答えを知る方を見つける為、私はまず図書館へ赴いた。あらゆる本を網羅し、その分野に長けた方を探した。
そしてついに見つけた。その方は「椅子博士」と呼ばれているほどの椅子好きで、椅子の事や椅子にまつわる事ならなんでも知っているそうな。
岐阜県にお住まいの椅子博士に会いに、私は新幹線に乗り込んだ。
早朝4時。こんなにも早い時間に新幹線に乗る事などほとんどなく、私は少しハイになってた。
車内は空いており、席はまばらに埋まっているていどだった。そして私は窓際の席を取れたもんだからキャッキャと喜んだ。
私の隣に座った者は残念ながら通路側だ。だが安心しろ。お前が景色を見られない分私がたっぷり堪能してやる。通路君は大人しく通路でも見ておけ。私の体越しに窓からの景色を見るなんて厚かましいにも程があるだろ。真っ当な人間のすることじゃあない。
そんな事を思っていると、隣の席に人が座った。
こいつが通路紀行に参加した気の毒な通路ウォッチャーか。どんなツラか見てやろう。
そうして顔を見ると…。
私は息を呑んだ。時間が止まったかのような感覚だった。言葉が出ないとはまさにこの事だ。頭がいっさい働かないのだ。言葉を探す事もしなければ、体も動かない。隣の人の顔を見た瞬間それだけの衝撃を感じた。何秒間止まっていただろう…いや何分、何時間かもしれない。未だかつてないほどの衝撃を受けた。
しかしそれはすぐに、あるひとつの答えに導かれる。
時が止まったのではなく、私が止まったのだ。私の意識が停止してしまった。
電車は時期に岐阜に到着するだろう。しかし私は止まっている。
私の中の世界では、電車は発車直前で停止したまま未来永劫その場に留まるのだ。岐阜に向かう事もなければ、隣の人間が誰だったのかを書き記す事もない。
なぜなら、私が、私自身の意識が停止したから。
私にとってのこの世界は、まさにこの瞬間に終わってしまった。
時間も空間も終わってしまった。暗闇が訪れる事もなければ、キッカケがあって動き出す事もない。完全なる停止。

ーーこうして、私の生涯は幕を閉じたのだーー


〜あとがき〜
2004年の春、少し早く咲いた桜の木の下で私はこれを書いている。温度を含んだ心地よいそよ風が、執筆の手元をイタズラに動かしてくる。
書物というのは不思議なもので、活字だけで人に景色や匂いや感情を伝えてくれる。そうしてその人の心に作品として残り続ける。
形はどれも同じで紙を束にし片方を留めた、本。
でもひとたびその扉を開けるとそれぞれが全く違う物語を届けてくれる。
しかもそれは受け取り手ごとに異なり、それぞれがそれぞれを受け取っている。
私はこの摩訶不思議な現象を、書物作品現象と呼んでいる。
書物作品現象は、このあとがきを読んでいる今現在の貴方にも起こす事ができる。
例えば、以下の情景を書物作品現象として受け取ってみてほしい。
ーーあなたは今、デパートの1階を歩いている。近所ではあまり類を見ない大型のデパートだ。その一角に、たこ焼き屋を見つけた。ちょうど腹も減っていた所だしテイクアウトして家で食べようじゃないか。
幸い、お昼時を過ぎた時間なので店は空いており並ばずに購入できそうだ。ふとメニューに目をやると気になる商品が期間限定で掲載されている。
「シークレット焼き」というものらしい。品書きには、具材は食べるまで何かわからないとの事だ。子供みたいな商品だ、と少しおかしくなってしまったが、ものは試しだ、頼んでみよう。
…しばらくすると調理室であろう方面からいい香りが漂ってきた。油に熱が入る香り、その温まった油に粉を流し込んだ時の香ばしい香り。
表面を揚げ焼きしているのだろうか、串で突いた時のカリッとしたリズムの良い音。
デパートの一角でこんな食の贅沢を感じていいのだろうか。まだ商品を受け取っていないのに、先に感覚的調味料を味わってしまった。
ようやく商品が袋に詰められ運ばれてきた。シークレット焼き。10個入りの、ふくよかな丸い形と香ばしい色が食欲をそそる。袋を握った手で感じられる、温かみのある湯気…。
いい気分で帰宅し、窓を開けてこの気持ちいい風を部屋いっぱいに満たし、さあ最高の昼食だ。
蓋を開けると、湯気に乗せられてソースの甘辛い香りが漂った。
端っこから、一口。カリッとした表面を超えるとアツアツの生地が待っていた。
そしてその奥には、コロッと小ぶりながらもしっかりとした弾力で歯を楽しませてくれるーー。
これは、タコ…ではなかった。妙に清々しい。爽やかすぎるくらいだ。
あまりの違和感に吐き出すと、それはミントガムのツブだった。
なんというチョイスだ。こんなクソまじぃ料理を出すなんて…。
ただ、これはもしかしたらハズレ枠で、残りの9個は海鮮や肉が入っているかもしれない。
もうひとつ食べてみた。今度は食感のない具材のようだ。
食感がないわりに、噛み砕けない。なんだこれは。これは…毛だ。
吐き出すと、縮れた毛が絡み合って詰め込まれていた。
気持ち悪すぎる。他にも食べたが、ロクなものが入ってなかった。
眼球、舌が痺れる謎の粉末、風呂の排水溝の垢、明らかに数日経った精子、イモムシの腐乱死体、吐瀉物、ゴキブリの卵、ウンチ…。
これらは食べ切ってから容器の底に書いてあった文章で判明したもので、貴方は一通り口に入れてしまったのだ。最悪だ。
歯の間に毛がまだ挟まっている。そればかりか舌の奥に腐乱して崩れたイモムシも挟まってた。鼻を抜ける臭いはウンチと吐瀉物を混ぜた臭いだし、下や口内は痺れてるのに、精子のイカ臭さは依然として自分の吐く息から臭ってくる。ゴキブリの卵の食感やざらりとした舌触りも忘れられない。そこにわざとらしく、ミントガムの爽快感が掛け算されて、とにかく気持ち悪いのだ。
   2004年5月 足皮すすむ


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