見出し画像

常に vayu prana asana 我




常に vayu prana asana infomage が続いているという実感がある バトルロープは魔法の本質だなという諦観がある 見えないの部分の波の続きに起こり興りの連なりを見せてくれる 手触りを倍加してお裾分けまでしてくれる あれに行き着いたのはよかった 無駄に走り込むような真似はしたくなかった つまりあれ ∞∞∞∞∞∞ が本当にずっと起こってるってことなんだよな 何処からどのような角度にニュアンスでそれを始め直すことも断ち切ることもできる今雨降ってるお前のとこはどう

直線は未到達の翻訳であって螺旋は到達の顕現に現実 全然分かってもらえなかった高校生の時 既に行き着いて繋がっちゃってるからその方向の力の形がそのようになっているっていう可能性の中の最適解が螺旋なんだと思ったよ 勿論マクロにはそうなると言える一方でミクロには最もミクロなる衝突と推進の折衝の結果が螺旋としてああなるということも言えるだろう でもその原理感覚をそのままに scale up するとやっぱりマクロにはさ 既に到達して行き着いて繋がって連なってるから螺旋みたいにくしゃってるって言えるじゃん 実際そうなのか尋ねてみてよ あと関数的グラフって関数的原点の嘗ての震えの事後伝達ですよねって言っても時間が前後錯綜し過ぎて上手く伝えられんかった 関数グラフの一々の点を辿ってカチカチ書き書きするより縄をうねうね振った波の伝わりうねりを体感する方が 一体何を 何をどのようにして どのような視覚的及び認知的制限の中で翻訳 言語により再表現しようとしているのかが よく分かったんじゃないかな 実際原点なんて無いでしょ 既かつ常に後ろってのから起こって来ている訳だから それにね

英語も日本語も知らないけどその背景以前の時間感覚や実体規制は捉えてるよ 前者は時制と言われ後者は数詞と言われ あとはリトミックばりの身体音響感覚に端を発して筆記という営為とそれこそ螺旋様の相互依存的発展を期し帰し気して来た語源学 エティモロジーも押さえてる つまりそれで全てだとは思うんだけどね 仮定法ってのは俺みたいなやつの錯綜と退行が生み出したんだよ 俺みたいなやつの錯綜と退行のブレンドとして生み出されたんだよ 錯綜を齎したのは何らかに対する驚愕と絶望だったのかもしらん でもそのような驚愕と絶望をするそのようなものってが既に仮定法以前の仮定物な訳ですけどね

畏怖 i wa u
if I were you

英語って日本語と違って言語以前背景の時間感覚がそれこっそがちこち生命樹みたいな樹形図産物でさ その中のドットをノード辿って行ったり帰ったりを実際にしてるのよニューロン だから頭の中 you に向かって乗り出して行く時に一段退行するのよ だってそのような現在であるためには一歩退行っていう過去るをしなきゃいけないんでしょ だから因果世界ってのはマジで印欧なんだってば 俺らの時間は揺蕩う川にぬちぼここおろこおろ挿してかき混ぜることがメインなウェイトなサイドでその矛の前後くらいの程度のニュアンスの時間でしょ これよりこれよりかでいうと前ないし後ろなり かなり恣意だし状況依存的でグルーヴなんだよ 最近だと if I was you も許容表現になってるみたいだけど you に向かった移入の感覚と強度と最終的な乗り出し感が弱化して来ているんだろうね そらそうだと思うよ if I were you と if I was you が同じ感じの意味な訳ないじゃん 後者全然乗り出してないし錯綜も混濁混乱も驚愕も絶望もないよ 畏怖うわー u 未到達を感じる これらの事柄に纏わるメタ的な退行のみを感じる そらそうだよね separation display deprivate な distopia をどうぞ愉しんで 仮定法大過去に於いていよいよ現れる所謂過去性ってのは次項記載

そんでそもそもの時制とかも無いよ 今ここ的な現在という一挙包含状況と そこからの主観的態度というスタイルとオプションしかないよ I love you しかないって言ってる 過去なんて無くてこれは距離 今という現在から嘗ての現在への距離感と距離ある眼差し I did love you I loved you 未来なんて無くて意思と方向と決定しかない 意思と方向と決定は一体でしかない I will love you I'll love you 私は今という現在からそのような現在へ進む 進むことを所望しそれを実現する loving は love が living 生き生きしてる I'm loving it は普通にあり得る 私も貴方もそうなり得る 現在完了等とかまじでしらん I loved you な嘗ての現在を今という現在で保持している I have なだけ I have that I loved you I loved you との違いは嘗ての現在と今の現在との関係性のニュアンスの違い 後者は言ったように距離や更に言えば断絶 温度の非連続があるけれど 前者には連なりや繋がりそして肉体的な隣接感と時空的温度の共有感がある 齎されている感覚っていうのかな 今が嘗てに齎されているという感覚 今が嘗てを持っているという感覚 ここら辺の未文化不文明はそのままに大切にされているんだろうね I have at least liked you 少なくとも貴方のこと好きでした そのことを保持しつつそのことによって齎されています i shite 〼

I will have been loving you とかはかなりギミックで love についてこのような表現は起こりにくいと思う こういう場合は確かにピアノでも数年間やっておくといいのかもしれない でもこの一文を今現在の一点へと収斂して行くように読み解いていくと面白いかもしれない 意志ってものの射程の可能性を味わえるというか 貴方を生き生きと味わいそして愛しているような状態を将来的に保持し得るように私は今現在を行動し活動し そこに至る為の一々を想像しそして実現していこうと思います 実際問題どうなのかな

数詞についてはそのまま認知だよね a は漠然とした多数からのランダムサンプリング っていうプロセスが納められたギミック 普通の複数形の複数ってのはその a というランダムサンプリングの試行回数が複数と言える a って言って何となく指差して選ぶのが a だから 繰り返しておくけど漠然とした多数からのってとこ重要だったからね どこからどこまでのこれってことの始まりと終わりが視界に収まってないくらいの 任意という表現が成り立つくらいの数的規模からのランダムサンプリングの一回が a だからね 無冠詞ってのはそういう意味での取り出しや抜き出しをする前の渾然一体を意味しているしそのような渾然一体が状態成立するような物やものというかモノについて適用される無形不可視の規則プロセスだね the はそれ 意識の集注 手の上に乗って視線を浴びてる唯一って感じ 数的に一つかとはまた違う唯一性が the には込められている the で複数形ってのはあるでしょ でもそれらは一つの纏まりとして唯一であり grave なんだよ その gravity に手を添えて指示ている感じ 重力があれば情報が流れ込むよ the を冠されたものにはその後に注目ってこと this は the is で隣接するそこらへんの the ってことで that は the at でちょいとあそこにある the ってことであって座標空間内の二次的ヴァリエーションとも言える一次的には the でしかないかな これは数量に関する三次を受けた the is es the at es にも言える 発音の変異っていうか遷移についてはお口の形と舌の動きっていう有限に支持された限界なんだろ 他に any はどの a つまり任意の任意 some はとある a つまり任意の中の限定感 any はどのように任意しても some はこのように任意されたら 又は任意の内の限定感 彼は somebody 誰でもの中の何者かであるってこと

バトルロープにハマり尽くした後に音響発生の関係で仕方なく自宅では錘を振ろうと思ったら錘を当然の如く縄みたいに振るっててそんで実際に向こうや遠方後ろの遠方の波打ちと響きをそうぞうしていた時には笑ったな それで最近とにかく情報量が多いからこのようにして圧縮刻印してるって訳 いつも通りに俺の記憶を通ってみんなの奇奥にさておき その他に何だっけな カラオケルームと呼ばれるようなそれなり完全音響空間に入れば音楽的音響用膜のある生命をそれなりにどのようにでもできるようになった そういう沙汰・l がちゃんと出て来るようになった まさにお祈りした通りにようにだ ずっと知ってだけどね 時期があることもそれがいつってことも何故ってことも知ってたけど しかしなんでこんなに再現性があるんだろ 人間そのものについてね






なにもうまずくるし
めるだけのものどもをころがせ
仰ぎ 担ぎ 代理 を キレ
臆病に不安 卑屈に雑言 は
ジンカクニアラズ












ae