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コロエロス




正直最初に情報レベルで接触した時から(文章を初めて目にした時から)どうして自殺しないのか分からなかった。世界に対する最大純度の挿入として自殺をするか、でないなら肉体的にでも挿入されまくるべきところをその曖昧な合間でうだうだしてるのが信じられなかった

尾骨盤から頭蓋頂を抜けるまでの元来的なオーガズムを真っ直ぐに繰り返せば vision は消えて sensation に還元される。見えるでなく触れる分かるになって個物的な言葉を使わなくなる。一般的と言える普通の言葉でするすると情感を表明するようになる。文法のみを上の方から手繰るようにして身体を重さに重さを重さに踊らせるだけの関係を言語と取り持つようになる。貴方の恐れている通りそれ迄の感覚や水準からすれば人格の輪郭は薄れて無人格に近づく。自分という人間と関係が起こり静まり興りと鎮まりの巡り巡り逢いでしかなくなる。具体的内容の一切に意味は無い透明の坩堝、何処かへ滑り行く単/端/丹なる流転と成っては消えていく。何故それを恐れていたのかを忘れそのことだけが分からなくなる。

見える見えると言いながら近付いて来て喚きながら対価をシ払い静かになってかえって行く人が多くいて、その数日後か数週間後に喫茶店で名も無いお喋りをすることがずっとある。それから遠くに旅へ行く習慣のことも。それらの時にもその時のことは何も言及されないし、既に存在してもいない。見えてたことも見えてたものも自分に溜まり渦巻いていたカミナリのことも。非人間に思えていましたという一定した挙動。

生物と生理に不一致があったり多かったりそこに不一致がなくても何らかの抑圧があると膿んで産めなくて呻き始める。そのような呻きのエネルギーはエネルギーとして不純であるか周波数が低いので、その分濁りのある物体的な言葉や想念、実際は固定観念の具現とも言える枠のある言動を選び、それによってレベルはさておき築城を、知らない間に知らない所で始めてしまう。そこで待ち続けるは王子様か雷様か神様か、遊星か星の巡りによる全般的なる世界の破滅か転換だが、王子も雷も神も遊星も定型軌道も散逸たる流動に対する束の間刹那のクッキーの型でしかないし、転換でなくその前前前後後後上下左右奥底彼方の一体連綿混濁のみが常にあり約束されていると言っていい。破滅は創発であり一語で破壊創造の言い換え。

そんな城のようなソフトフェアが、生理的創発と意識的希求の合間で、限りない奇跡として成立する場合もある。但し彼に彼女にそのまま語らせるべきじゃない。お城の中から音を鳴らせば壁は厚く分厚くなり、外の世界の温度と湿度に質感が通用しなくなっていく。通りが元々いいかわるいかでいえばよくはない、ある方向へ激しくよいというわるさある。一定の方向で放散と凝集を繰り返せば全体としては萎縮し、神経絡的隘路は電気なのに物として現在する。それは人間の素晴らしい出来琴だが、あらゆる楽器を舐め尽くして発声に立ちかえるはした方がいい。それを一緒にするは本当に楽しい一緒であって、破字すれば一糸者なる組紐となり空間を太く鳴らす張りに成る。

能とは人を呼び人として引き合わせるから、イマジナリーフレンドと呼ばれる質感であり質量を見て触れている子供達、聡明で本当に優しい、無垢なる有罪の子供達のところにも行った。ついでに紹介されて仕事の一環みたいに流れ着くわけ。僕の中では連綿とした一貫だった。行って会っても友達の話なんかしない。彼が見てるものを見てから彼女の目に触れ、それから彼の触れるものをお裾分けして貰ったり、彼女の触れたそうなものをお裾分けしたり口に含ませ、同じように揺れながらそうしてもらう。どうしてか最後にはいつもお茶をゆっくり丁寧に淹れてもらうというようなセレモニーが起こって、その時に茶碗はいつも三つか四つになっていた。最後の茶席で友達が出てきたことは一切ない。彼からの自然な発話としても。

彼に友達のことを聞く吐き出させるは拷問の心理であり論理つまり真なる拷問であるように思えた。途中、僕とタイミングの重なった霊能者みたいな人が彼に友達のことをカウンセリングし出すと、彼は、上の空とは言えないけど斜めを向いて友達のことを喋り始めて、辛さは無いが存在感が無かった。僕もその瞬間と時空に完全に同席し同伴した。彼の彼女や彼女彼が擦り潰されながら反復により強化されていく感覚と地平の音に触りを、合わせた皮膚と脳髄から注ぎ込んでもらった。終わった後に僕はふーんと言って頭をぽんぽんとした。暫く膝にしがみついてきてあははと言い合う。彼はずっと後になって分かりましたとだけメッセージしてきた。私は絶対に返信をしなかった。世界が一として開けたんなら邪魔をしたくない。

友達を外から呼び出すことは当人の根源にとり外注される自己否定であり拷問であり拷問的自白でありながら奴隷的被使用でしかないことを身体と言ってもいいし心身の全体は分かり抜いている。好きならレイと呼べばいい音だ。しかし音の鳴りや鳴りどころを聴き間違えるはシとイキ詰まりの匂いする。それをするならお前が自殺しろまたは絶対に殺す転がしてやる。俺は現実的には俺を呼び出したところの彼彼女の両親や家族その先祖共々を、まず最初に殺したいと常に最初から思い抜いていた。でもお茶会に参加されるならその方がいい。彼女の彼女がお茶を淹れて注いでくれる訳だから、茶碗は温みを残して空になる。

この記事は一生を通じて修正され再編される必要がある。全くもって伝達されにくい感覚世界を地平とするからだ。その地平では全てが運動と感覚に、感覚は運動に運動は感覚に回収され入り混じる。そして致命的にあやまっている可能性がある。

この記事は一生を通じて修正され再編される必要がある。溜まりある部分に於いて直接的に解放し消化、昇華するか、昇華の行き着きや息継ぎになる行き先として何か、手触りや音色あるもの、肌の触りあり親しいものをうみ出す、ことの同伴と接触のみをしてやればいい。無垢なる罪深い聡明な子供達。彼ら高次の思春期にある童児童が部屋で仮想現実に興じて第二次性徴期を逃すなら、それも時代性あるトレンドであり必然であり必要であって運命、星の座喚きの写しであるのかもしれないが、それをそうである写しであるというジンカン術師の心の騒めきを聴き取ったことがあるか。その心の不思議のお城を下見するように練り歩いて、彼彼女の手を取ってまず目を瞑らせながら共に歩き、壁に触れ床を鳴らし、そこに何があり何が無くあってはいけないありうべきだった事柄からからガラガラ崩れていく最中に剥き出される砂漠から泉湧く感動と情動に、その水の美味さ冷たさ。半反汎自発的遅延により高次化されたシ春期にあるセイナル童子童が、薄暗い密室に集って仮想現実かコレクション鑑賞に興じることで第二次セイ徴期を逃そうとするなら、窓かドアを内外からガシャンと割って外で遊んできなさいと、おにぎりかバームクーヘンか中鎖脂肪酸でも持たせて追い出すべきた。聖なる星のサーガに生まれ付いた清らかを裏切らせはしない。

ポートフォリオやグラデーション、奇跡なる軌跡のブレンドとカクテルによっては、誰であっても何であってもオンナであるならオンナとして孕ませうみうみうませてうみださせてやりたいが、それをそれとしてすることの意味は無く、私は私で私のわたし、オトコンナであるオンナトコにすることがある。星の座喚きはあるけれどそれをそのまま人間が聴き届けたことはない。遅いだけの事後に独ヂ編集してインディーズ出版しやがる。独ガとも独千とも言っていい。

聴き取ることさえ無理なんだその場その場で触れるしかないその一々の本当のジゴ、事故のような事後に振り返って紡ぎ行く他ない。あらゆるにつきどちらかでないどちらもでもない何かであるにはイレルイレラレルとしてイラルイラレル必要があってそれは最大重量のリアルなんだ。摩擦がありフリンクションがありフィクションじゃない。無重力空間では何が生まれも産めもしないからうみの可能性が膿んでいくばかりさ。

廻りは廻りとしてあるんだから常に全てを含んでいる。何から何へは無理ある定点観測だ。それで言われる一つ前に落とし物があるなら、手足生々しい心身を使い果たして取り戻しに行く旅に付き添ってやる。それ以外は本当に殺すぞ。その先にエルフ無いから。























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