わたしの履歴書〜ジャグリングとわたし〜
ジャグリングと出会った日から4年以上の時間が過ぎた。ジャグリングを”する”ことには情熱を注ぎきれないまま1年ほど遠ざかっているのとは対照的に、ジャグリングで繋がる場には積極的に関わっている(と思う)。”関わる人”として活動した2年と少しの集大成だと漠然と思っていたWJDが終わったところで、ちょっとした振り返りをしてみようと思う。
2018.5.5 Juggling Donuts Live 2018
古巣の名物公演。メイク係をしていた。”関わる人”としての原点はここにあると思っている。ちなみに、後述する別団体でのメイクを担当させていただいたのもこれを見た方から声を掛けてもらってのことだった。
2018.6.18・19 World Juggling Day in Osaka 2018
サークル外で初めて関わったジャグリングイベント。イベントの運営に興味があったことに加えて、前統括に半ば一方的に懐いていたのが決め手となって公式TwitterのDMに突撃した。ここで、後にお世話になるJuggling Story Project代表の吉永さんに出会う。
2018.9.15 Juggling Story Project 第4回公演
所属サークルの公演がきっかけで関わることになった団体。衣装・メイクのリーダーを任せていただいて、めちゃくちゃ燃えていた。さらにTwitterの中の人もやっていた。仕事多くない?大丈夫?という周囲の心配に、「楽しいので平気です!」と言い切っていたあの頃は若かったし、打ち上げで「歩くレッドブル」との異名を賜った。
2019.5.4・5 Juggling Donuts Live 2019
なんとこの時は出演者。出演者としてのプレッシャーの中で色々頑張ろうとしすぎて空回り、しばしば大事故を起こしかけては周囲に迷惑を掛けどおしだった。このプレッシャーには二度と耐えられないと悟り、これ以降人前でジャグリングを披露していない。
2019.6.15・16 World Juggling Day in Osaka 2019
2年目のWJD。副統括ということで、「人に仕事を割り振ることを覚えましょう」というのが宿題だった。閉会式でしどろもどろになりながら次期統括として挨拶をしたのももう1年前である。
2020.3.8 第8回関西学生大会(中止)
初めてイベントの代表になった。新部門を作ったり出場枠を拡大したりと自分なりに意図を以て企画に取り組んだ。ここまでに出会った大会運営経験者にも運営メンバーにも大いに助けていただいていたのに、中止に追い込まれたのは悲しかった。
2020.6.20・21 World Juggling Day 2020
直近。こちらも会場が使えなくなってしまったことでちょっと拗ねていたのは内緒。オンライン開催という自分の経験値を大幅に超えた企画に、実は手も足も出なかったというのも内緒。ともあれ、運営スタッフのアイデアと知見を信じて自分は客寄せパンダに徹した。反省点はnoteに別記事を書けそうなくらいある、書かないけど。
準備段階から関わったのはざっとこれくらいで、関西の各種大会でアナウンスや広報をさせていただいたのも含めるともう少しある。最近は以前のイベントで知り合った方にその後の運営で助けていただくことが増えてきた。1年目の終わり頃から後先考えずにあちこち突撃していたのが効いているのかな。それでもまだ何かを0から生み出すための基盤ができ始めたところ、といったところだと思う。
今ちょうど進路選択の時期にあって、ジャグリングとの付き合い方も転換点にあると思うのだけれど、これから先はどうしよう。せっかく基盤をつくり始められた(ような気がする)から、もう少し何かしたい。語学が好きだから、告知とか内容をバイリンガル/マルチリンガル対応にして世界規模のイベントとかやってみたい。あとは、何かスキルが欲しい。見やすいウェブページを作れたりSNSによる効果的な広報の知識があったりするといいなと思う。
ちょっと、といって原稿用紙5枚近く書いているが、これくらいにしておこう。
それでは、またどこかで。
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