コロナ禍に思う留学の意義

 先日、「海外留学はもはや時代遅れだ」という堀江貴文氏の動画がTwitterのタイムラインを賑わせていた。

 氏曰く、”海外留学で学べること”なんて全部スマホでできるということである。たしかに今やedXやMOOC、Courseraで海外の有名大学の講義が世界中どこででも受講できるようになっているし、オンラインで最先端の論文にアクセスすることも可能だ。SNSで友人を作ることだって難しくないのかもしれない。

 ……本当に?この世界の誰一人としてパンデミックのパの字も頭になかった1年前に海外に留学している学生の一人だった経験、すなわち”わたしが海外留学で学んだこと”はオンラインで置き換えられるのだろうか。

1 学業面★★★★☆(5段階評価:4)
 やはり学業面は置き換えが利きやすいように思う。現に日本に帰国してからの学期、つまり2020年度前期は全面オンラインで受講していた。もちろん問題はいろいろあるけれど、学生と大学・教員双方が改善に取り組むことで解決できるものも多いはずだ。
 一方で、置き換えられない部分もある。例としてわたしが留学先で履修していた講義を取り上げよう。Introduction to Quebec Studies(ケベック学入門)という講義で、カナダ・ケベック州の地域研究について学ぶものである。法学・政治学専攻のわたしが、なぜ単位互換も見込めないこの講義を取ろうと思ったのか。今住んでいる街を知りたかったからである。これがもし”オンライン留学”(=日本で生活しながらオンラインで向こうの大学の講義を受けるだけ)だったならば、無難に他の政治学科目を履修していた気がする。”今住んでいる”環境が学びの意欲を刺激することもあるとわたしは思うのだ。

2 人間関係★☆☆☆☆(1/5)
 SNSは確かにきっかけにはなりうるが、SNSだけで親友になれるかというと甚だ疑問。SNSのアカウントはすぐに消せてしまうから。けれども、一度でも会って残った顔や声、雰囲気、話したことの記憶はSNSのアカウントほど簡単には消えない……HYの366日っぽくなってきたが、とりあえず学業ほど簡単には置き換えられないということだ。

3 生活☆☆☆☆☆(0/5)
 先に挙げた堀江氏の動画では触れられていなかった部分である。わたしの場合は親元を離れたことで生活スキルが著しく向上したが、それだけだっただろうか。
 例えば食生活。せっせと自炊をしていたので、週に数回はスーパーで買い物をしていたのだが、これがなかなかに面白い。まさかカナダで大根がDaikonと書かれて一本丸ごと売られているとは思わなかった。ラップの切れ味が最悪なことも、ク○ールのパスタソースの素(粉末)が粉っぽくて美味しくないことも、生活したからこその経験だった。
 他にもバスやメトロで流れるフランス語のアナウンスやQuebecois(ケベック出身の人)の話すフランス語訛りの強い英語に接する日々の中で、ただ情報として知っていた「ケベックはフランス語圏」という知識は実感を伴う経験になった。いつものスーパーの店員さんとフランス語で会話してお会計をできるようになったし、その会話の中でケベコワ(フランス語のケベック方言)も学んだ。

 まとめると、「知識を得るのに場所は関係ない。しかし、留学は知識だけで成り立つものではなく、人間関係や生活などオンラインでは代替の難しい側面が含まれる以上、全てスマホで済ませるには無理がある。留学は時代遅れというのも当たらない。」というのが私の結論だ。(続く)

 

 

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