サイエンスの「素顔」と「イメージ」のあいだ

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが、このようなお悩みブログをお書きになっていた。

「そういう話もある」と「確かにそうなっている」のあいだ。

インタビューを受けてサイエンティフィックな内容のコメントをすると、その内容を裏付けるエビデンスの提示を求められる。けれども、特に萌芽的な研究領域では定説が固まりきっていない事象が多いので、「確からしい」ということを示すエビデンスを揃えるのはひときわ難儀するということだ。
(もちろん、だからといってエビデンスを示すことを放棄するというわけではなく、現状はその作業がお仕事全体において律速になっているため、お悩みになっているとのこと。)

「こういう話もあるよ」と「確かにそうなっている」の間には大きな溝があるということなのであるよ。編集部のいう「エビデンス」とはこの溝を埋めるけっこう手間かかる作業のすえに提出できるものなんだね(←真面目にやれば)。


「溝を埋める」作業は、ヒラクさんが扱う「新トピックス」に限らず、サイエンスを扱うコンテンツではほぼ必須案件である。
けれども、エビデンスに「『間違いない真実』を裏付けるもの」という要素が求められると、なんだか必要以上の苦労が要されるような気がしてならない。

新しい研究領域に限らず、サイエンスが「間違いない真実」を保証することなんて本当はない。学問の世界、研究の世界は、「専門家」の間で再現性を確認したり他の人が見つけた事象と照合したりして、「どの説がそれっぽいか」を示すロジックを組み立てることを繰り返す。サイエンスの実態は、「私はこんなふうに考えました」という小さな小さな事実の積み上げに過ぎない

それなのに、サイエンスのプロセスにおける現象を抽象化したり一般化して記述したりする行為が、「サイエンスのプロセスを踏むと客観的な真実が得られる」というイメージへと塗り替えられてしまっていることはまあ多い。「教科書に載っていることが答えだ」という刷り込みも、多少は影響しているのかもしれないけれど。

サイエンスはあくまで「ものの見方」だ、と誰かが言っていたような気がするが、本当にそのとおり。サイエンスの正体は、誰かが何かを見た事実なのであって万能な神様ではないし、「間違いない真実」へと導く魔法でもない。
「『そういう話もある』と『確かにそうなっている』のあいだ」にある溝は、サイエンスの本質的な「素顔」と、客観的な真実を担保するエビデンスが示せるよ~という世間の「イメージ」とのあいだの溝によって、いっそう深く抉られているように見えるのだ。


…と、わかったように書いているけれど、そんなことが身体感覚としてわかるようになった気がしたのは、博士論文の審査のプレゼンテーションの最中だった。
研究は「存在しないかもしれない答え」を探す行為で、たとえ答えが見つかったとしてもそれが「絶対」というわけではないと、頭ではわかっていた。わかってはいるけれど、どこかで「正解っぽいこと」を言おうとすることがやめられないし、自分のクセもあって、私の話より世間一般論を唱えがちになる。
そんな中で、審査員の先生から、「現象がどのようであるか」より「そのことについて私がどう考えているのか」をしつこくしつこく質問してもらったとき、初めて、研究って、学説って、サイエンスの世界って、そういうものなのか~と、腹落ちしたのである。

私個人でこれだけ時間がかかっているのだから、世間一般の今のサイエンスのイメージを一掃できるなんて微塵も考えていない。ちょっとだけ「わかるかも~」と思ってもらえると嬉しいのは、サイエンスは100%悪に打ち勝つ完成された最強ヒーローのような存在ではなく、矛盾も曖昧さも職人技のような肌感覚も孕んだ、現在進行形の人間の営みなのだということ。

サイエンスなトピックスだからといって、必ずしも「確かにそうなっている」側面ばかりを切り取ろうとしなくて構わない。「そういう話もある」というありのままの姿も、大切な記録になるのではないでしょうか。

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さいごまでお読みくださり、ありがとうございます。

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黒木彩香

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