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人に優しくできるひと

ずいぶん前のことなのだけど、書ける場所をようやく開拓したので書いておこうと思います。

マツコ・デラックスさん、黒柳徹子さん、夏目漱石などのアンドロイド作製でおなじみの石黒浩先生が、研究プロジェクトの終了報告にいらしたときのこと。
殺風景なオフィスの会議室での報告会なので、スライドを使ってプレゼンテーションするだけで終わるのがほとんどなのだけれど、石黒先生はプロジェクトメンバー御一行とともに、開発した「Hagvie」を連れておいでになった。

Hagvieは、その頭部にスマホをしのばせて、ハグしたまま「もしもし」するという、人間型巨大スマホケースのようなアイテムである。
それのどこが「研究」なのかというと、まず、科学的・医学的検証を重ねて、見た目の特徴を「人間であること」の最小限におさえている。すると、ユーザーは「それが人間である」ということを認識しつつも、具体的に「誰である」のかは電話から聞こえる声だけから想像することになる。触れ合っているHagvieを電話の向こうの「誰か」として認識し、存在を肌身で感じられるようになるのである。

電話の向こうの人の存在を近くで感じながら「もしもし」することによってどのような効果があるのか、ということも検証されている。
たとえば学校で落ち着きがない子どもにHagvieを抱かせて先生の話を聞かせると、落ち着いて話が聞けるようになった。認知症でお話しができなくなってしまった方がHagvieで電話すると、楽しくおしゃべりできるようになったという事例もある。

Hagvieが使う人のパワーを引き出し、使う人の想像力がHagvieの機能を完成させる。
武術ではないが、人間とテクノロジーとで、互いに「相手の力を利用する」関係がデザインされているように見える。

石黒先生の研究は、一貫して「人間のことをもっとわかりたい」ということが根底にある。アンドロイドも、作って人間と比べてみることで人間の「人間らしさ」を発見するツールである。
石黒先生の場合、研究者としての自分の「わかりたい」を満たすにとどまらず、メディアに取り上げられるロボットのように人を楽しませたり、Hagvieのように人に手を差し伸べたりできるところまで、テクノロジーを成長させる。

そんなことまでできる石黒先生がもつ能力を一枚ずつぺりぺりと剥いでいったら、芯のところに見えてくるのは「優しさ」なのではないかと思った。

プレゼンテーションを聞いて、というか部屋に入ってこられた瞬間から感じたのは、マスメディアに描かれがちなどこかエキセントリックな研究者像はニセモノだなということだった。目の前にいる石黒先生は、やわらかい空気を纏い、静かにシンプルにコミュニケーションをとっていて、「驕る」などと最も縁遠い世界の住人のように思えた。
実際に技術を普及させるには物理的にいろいろな努力が必要だけれど、根っこに持っていなくちゃならないのは、学校で隣の席の子が消しゴムを忘れてしまっていることに気づいて「貸して」と言われる前に貸してあげられるような優しさなのかもしれない。

優しくあることはすごいことだ。自分の外側への気配りが必要なのはもちろんのこと、消しゴムを貸してあげるにしても、相手が消しゴムを持ったまま逃走する可能性だってあるのだから、まず「相手を信用する」ということができなければならない。相手を信用するためには、自分を信用する強さをもっていなければならない。
優秀の「優」は「優しい」の「やさ」だ。優秀な人は、人を信じ、自分を信じる強さをもっている。それが「人に優しくする」行為として現れる。

そう気づいてから、もしも「どんな人が好き?」と訊かれたら「人に優しくできるひと」と答えることにしようと決めた。訊かれたことはまだ無い。

さいごまでお読みくださり、ありがとうございます。