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「楽しいこと」が「楽しみなこと」とは限らない

月に一度、クラリネットのレッスンに通っている。

大学のオーケストラ部に入ったときにほぼほぼ義務として通うことになった個人レッスンで、学部生時代の4年間は週に一度、その後は月に一度、もう10年以上通い続けている。

大学に籍があった頃は学内でいつでも楽器を吹くことができたのだけれど、社会人になるとそうもいかなくて、レッスンの日が近づくといつも、音楽スタジオかカラオケ屋さん(楽器練習OKのところ)で練習をする。

なので、たまに、さりげなーく、会社に楽器を連れて行っている。

余談だけれど、クラリネットを含む木管楽器は、完成形はみな細長いボディラインである。けれどもケースにしまうときには分解するので、ケースと完成形がまったく別の形をしていて、それが楽器であるということすら気づかれないことも多い。
中学生の頃なんか、その楽器を扱う自分たちでさえ、オーボエを「絵の具セット」、クラリネットのシングルケース(1本入り)を「習字道具」、クラリネットのダブルケース(2本入り)を「おとうさんバッグ(アタッシュケース)」、ファゴットを「爆発物」などと揶揄したりしていた。(フルートは知名度が高いので、分解してケースに入れたところでフルートでしかない。)

そんなわけで、会社に「習字道具」を連れて行っても、仕事に関係ない特別なものだとはほとんど気づかれない。
ごくまれに「それなぁに?」と聞かれることがあって、そのときは「クラリネットです。会社帰りに練習するんです」と簡単な説明をする。


先日めずらしく同僚さんに「それなぁに?」と聞かれたので簡単な説明を返すと
「じゃあ今日は楽しみだねえ」
と言われた。
「そうですねー」
と反射的に同意して笑ってみたけれど、あとになって「これは『楽しみ』だっけ?」と真剣に考えてしまった。

楽器をさわっているときは楽しい。
音を出しているときは楽しい。
音楽をすることは楽しい。

だけど。

好きな本を読んでいるときも楽しい。
おいしいごはんを食べているときも楽しい。
集中して働けているときも楽しい。

本を読んだり、ごはんを食べたり、働いたり。それらは生きている限り必ずするであろうことで、それをしているときはたしかに楽しいけれど、別にいつも楽しみに待っていることというわけではない。


楽器は、「吹きたいなあ」と思って吹くこともある。けれど、それよりもごはんを食べたりすることと同じように必ずすることであって、何ならレッスンや本番のために「さらわねばならぬ……!」と義務に強要されて触れる日もある。そんな存在だ。
楽しいし好きだし欠かすことはできないけれど、「楽しみ」かと言われると、ちょっと違った。
「楽しいこと」が「楽しみなこと」とは限らない、らしい。


会いたかった人に会うことが楽しみ。
発売日が待ち遠しかった雑誌を読むことが楽しみ。
昨日買っておいたシュークリームを食べることが楽しみ。

「楽しみなこと」には、それを成すまでの自分をちょっと前のめりにするアクセルが備わっている。「楽しみなこと」を持たずに等速で過ぎる日々よりも、味わい深い時間を連れてくる。

自分にとって「楽しいこと」を知ることも大切だけれど、それだけじゃなくて、「楽しみなこと」がいっぱいある毎日にしたい。です。



さいごまでお読みくださり、ありがとうございます。