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「世界観」の意味を考えた #milieuclosednight

その言葉が何度マイクを通過したのか、もはやわからないのだけれど。


メディアの人、アートの人、スタートアップの人などが主な読者とされているらしいけれども、そのどれにも当てはまらないわたしがめちゃくちゃ読んでいるmilieuというメディア。

尊敬するクリエイターたちが作っている世界は、彼らの見えている場所は、カルチャーの、文化の産まれる、スタートアップシーンだと思ってる。

だから、「中心」や「センター」って意味の”milieu”というメディア名にしました。

1本目の記事にこう書かれていた編集長・塩谷舞さんは、
『NYですこし過ごしてみて、これから作りたいメディアはこんな感じになってきました』
をテーマとした第1回目のmilieu meetup( #milieuclosednight )でも、「文化」という言葉を何度も何度も口にされた。


ニューヨークで生活をゼロから再構築するとなっても、衣食住で、お友達づくりで、いつだって塩谷さんのファインダーは「そこにどんな文化があるか」を問う。

だからニューヨークに集まる各国のレストランではその地域の食文化やマナーごと召し上がるし、勉強になるミートアップよりは言語(という形の文化)を交換するLanguage exchangeが、さらには自分の哲学をビジュアルとして剥き出しにするInstagramが、気の合う人を見つけるのに有効でした!だなんてもう頷く首が捥げそうになる。

人やモノや体験に沁み渡る文化を知ろうとする態度は、相手の様式を丸ごと尊重する。
きっと(本当は)いま目の前にある姿だけでなくその過去も含めて抱きしめることのできる方なのだと思わずにはいられない。

その行為は多くのメディアで重視されているであろうスピード感とはほとんど無縁で、何より等身大の自分で向き合ってこそ成立することで、そういう健やかさが塩谷さんの輪郭だった。


「デザイナーは絵を描けることが強み」なのだと聞いたことがある。
「描ける」とは単に「絵がうまい」ということではなくて、誰かのビジョンや妄想を形にできる、イメージを具現化できるという意味。
描くことでまた誰かの妄想を広げ、イメージが増幅されてゆくのだと。

「好き」の軸を露呈しビジュアルで体現する場としてInstagramがある。ビジュアルというものは逞しくて浸透力が高く、誰かの「好き」を誘い込む。

「嫌だ」の声もまた、メディアが受け取り、新しい言葉で、ハッシュタグで、キャッチコピーで、アイコンで、定義づけをすればムーヴメントとなりうる。それは誰かの「嫌だ」を誘うというより、ひとつのアイデンティティや価値観の旗を立て、誰かの居場所を作る行為だ。

「文化」とは連鎖で、人と人は「好き」とか「嫌だ」とかを具現する何かによって繋ぎ合わされる。
どうやらその「何か」は、総じて「世界観」と呼ぶことができるらしい。

誰かの代弁者になり「誰かにとっての一番」になるメディアを肯定するチーフエディターがメディアの「世界観」を大事にするのも、ひたすらに「文化」のほうを向いて前進し続けているがゆえと思うと心に落ちた。



メディアを始めます、というほどではないけれど、近々ささやかな連載を始めることになり、「準備中」の看板を背負っている今日この頃(という意味でもmilieuが参考資料として大活躍している)。
しばらく「世界観」の採集と探求に漬かりそうです。



さいごまでお読みくださり、ありがとうございます。