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ツルツルの横顔ヒーローに、皺を

皺に興味があります。しわ。シワ。

というのも、読売新聞の一面コラム「編集手帳」を担当されていた竹内政明さんが、ご著書「『編集手帳』の文章術」の中で
「『編集手帳は何のためにあるのですか?
と聞かれることに対し、こんなふうに答えておられたから。

「新聞の紙面を人間の顔にたとえると、一面コラムは皺のようなものです」と答えるようにしています。
新聞も所詮は紙とインキです。
…そこにすこしでも血を通わせる皺をつくる役目を一面コラムは受け持っています。紙面に楽しいニュースが躍っているときは目じりに皺を畳み、痛ましい事件を報じる記事があれば眉根に皺を寄せる。…


ニュース記事でもない、社説でもない、一面コラムの存在意義は何なのか。疑問に思われること自体には少しがっかりしながらの、「すこしでも血を通わせる皺をつくる役目」。

そのちょうどぴったりの言い方に、わたしがサイエンスのコンテンツに求めているのも「皺のようなもの」なのかもしれない、とそれとなく気付かされ、何度も考えていたのが今から一ヶ月ほど前のこと。

理想のシワを拝みたいという思いが溢れて、ルーブル美術館から肖像ばかりを集めて持ってきた「ルーブル美術館展」に足を運びました。

しばし、国立新美術館内での行動・情動メモにお付き合いください。


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肖像ばかり、というのは、行ってみて初めてその異常さに気づく。人型の何かに囲まれ尽くしながら、シワを求めて歩いた。

まず「記憶のための肖像」の部屋で見つけたのは、お父さんと子ども(めちゃ似てる)を描き分けるためにお父さんのおでこに一本引かれたシワ。
続く「権力の顔」の部屋で出会ったのは、目尻に彫られた、明らかに形式的な2本のシワ。

期待を大きく下回る結果に、少し弱気になる。

大理石の彫像は、服の襞やレースを繊細に作り込むわりにはお肌ツルツル。
「権力」を表現する肖像に老いを想わせるシワなどきっと不要なのだ、と、誇示に満ちたナポレオンルームで確信した。
唯一、物理的に求めていたシワでない雰囲気的なシワなら、ナポちゃんのデスマスク(複製)にあった。悪くないです。


求めていたシワにググっと近づいたのは、ルソーやヴォルテールの彫刻。「生きること=考えること」みたいな人たちのもつシワだ。
肖像におけるシワの存在は思考という行為の現れとされているのか?と思いつつ作者を確認すると、どちらもジャン=アントワーヌ・ウードンさんの作品だった。ウードンさんは我が子のはつらつとした表情を象ったりもしていたので、職能やお人柄を表現しがちなのは、この方の作風だったのかもしれない。


モデルのラインナップが身分の高い人だけではなくなってくると、作品たちにも体温を感じるようになる。目玉に生き物らしさが宿るし、シワがさほど珍しいものでもなくなってくる。

「フィガロを演じる喜劇役者プレヴィル(本名ピエール=ルイ・デュビュス)の肖像」には、人物の内面から現れるストレートに有機的なシワがみられて安心した。


「自己に向き合う芸術家」の一作品だったメッサーシュミットの「性格表現の頭像」は、一般人ムードのあたたかさややわらかさから一線を画すようで、その生々しく刻まれたシワによってしっくり融け込んでもいた。

写真や映像で見たときは苦しそうだなと思っていたけれど、実際に向き合ってみるとずっと悲しそうだった。というか、「苦しい」の部分が予想外に実験的だった。
その表情を作ることに対する好奇心が見え隠れするのが気になって、床から吹きすさぶ新手の冷房で足下がカチコチになりながらも、なんだか離れがたかった。

とはいえ、ずっと同じ場所で立ち止まっているのも気まずいのがミュージアム。少しだけ戻ったり少しだけ進んだり、それとなく徘徊しながら何度も彼に会いに行った。


お見送りBGMのゴベールのフルート協奏曲の旋律がちょっとドビュッシーっぽくて、そういえばここはパリだったのだということを思い出したのも束の間、いかにも日常的な蛍光灯色の世界に帰る。
外は雨。大雨。滝のような雨。サンダー。
乃木坂駅直通・一応屋根ありという立地条件に心から感謝した、夜の8時20分。
シワ収集、終了。

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シワ収集をしてみて改めて思ったのは、科学技術に関して出回る情報のほとんどが、結果としてのニュースか、何か大きな力と対峙したオピニオンだったりして、だいたいはツルツルの大理石でできたヒーローの肖像タイプのコンテンツなのではないか、ということ。

ヒーローはよくその姿がコインに刻まれますが、それらがどれも横顔なのは「横顔のほうがその人の特徴をよく表すから」なのだと、ルーブル展で教わりました。
その「特徴」はあくまで形状であり、人相ではありません。

ツルツルの横顔ヒーローは、いつだって別世界を生きる他者。
「きっと世界を何とかしてくれるだろうね」と、根拠のない期待をかけることくらいしかできない他者。

その他者感が引っかかっていたから、「すこしでも血を通わせる皺をつくる役目」に惹かれたのかもしれないと、少し納得しています。

皺担当を目指してみたい。




ルーブル美術館展は、東京での開催を終え、今は大阪市立美術館にお引越ししたみたいです。
肖像を作ることの意味、構図の意味、ポーズの意味、アクセサリーや貨幣としてグッズ化される意味。
ごちゃごちゃしていない展示たちをつなぐ意味の編集もちゃんときらめいていて、あやうくまるっと持って帰ってしまいそうになる展覧会でした。


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