恋愛的指向と性的指向の流動性と差異性

いま、わたしのプロフィールにはこう書いてある。

クエスチョニング(クワロマンティック・パンロマンティック・アセクシュアル)

クワロマンティックは、「他者に抱く好意が恋愛感情かどうかわからない」というラベルなので、ここではいったん措いておく。
恋愛的指向をパンロマンティック、性的指向をアセクシュアルだと定義しているが、(クエスチョニングなだけあって)このラベルに100%納得しているかと言われるとそうでもない。
確かに男性も女性も(経験したことはないが恐らくそれ以外の人も)恋愛的に好きになる(それが恋愛感情かどうかも定かではないが)ことはある。
そして他者に性的魅力を感じない。
この2点はある面では正しくて、でもまたある面では正しくない気が最近はしている。

というのも、「今ヘテロの気分だな」とか、「今は女性がいいな」みたいな感情があることに気づいたからである。この現象はわたしの人生ひっくるめて見ればパンロマンティックかもしれないが、たぶんセクシュアル・フルイディティといわれるものなんじゃないかと思ってきたのだ。とりうる範囲がパンなだけで、ある時点から見たらヘテロだったりレズビアンだったりバイだったりアロマンティックだったりする。
自己肯定感が限りなく低い己に言わせればただ気まぐれなだけなんじゃないかと思うけれど、そんなふわふわした状態にも名前がついているのは嬉しい。こんなわたしなんぞがそんなラベルをいただいていいんでしょうかという感じは拭えない。でもそうとしか説明できない。

また、性的指向については、相変わらずよくわかってない。
性欲がないわけではないし、性嫌悪があるわけでもないのだが、なんつーか恋愛の相手と性行為の相手が一緒である必要性がわからない。厳密に言えば一緒である必要性はないんだけれど、社会的になんとなくそういうことになっているのに違和感がある。「大事な人とは性行為をしたくない」みたいな感覚がある。だからもしかしたら、恋愛と性行為を完全に分けて考えれば、アセクシュアルじゃないかもなと思ってきた。にしてもこの人と性行為したい、という感覚はやっぱり希薄なのでAスペクトラム上には居る。グレイセクシュアルかな。アセクシュアルであることの証明は悪魔の証明なのでことさら難しい。

お互い面識はあったが喋ったことのなかった職場の男性と初めて会話して、好意を持ったけれどこれはどういう好意なのかさっぱりわからない。好意を持っている女性と久々に再会して相変わらずかわいいな……付き合いたいな……と思ったりもしている。人生のパートナーとしてはクィア・プラトニックな関係が理想的に思える。
なにもかもわからない。クエスチョニングの見本みたいな人間だ。生きてる!

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