思うこと、つらつらと。 1

2019/3/4

不思議なもので、服が欲しい、本が欲しい、モノが欲しい、そのためにお金が欲しいということを認め、公言してしまうと、自分の所有欲というか、どこかごまかし、納得させようとしていた感情がすっと薄れるように感じる。ただ、大抵はそのときだけで、時間が経ってしまえば短期的な消費欲のサイクルに呑まれてしまうから、かの作家のように、神宮外苑の外野席でビールを飲みながら見ていた日曜日のデイゲーム、一回裏ヤクルトの先頭バッターがツーベースヒットを打った瞬間に小説を書こうと決めたような、刹那的に決断してパチっと行動が切り替わったようなことはいままでない。以前友人から言われた、ブレーキをかけながらアクセルを踏んでいるという表現がまさに言い得ていて、それを正当化する適当な理由を探しながら日々を過ごしている気がする。ノンブレーキで、アクセル全開で突っ走りたいほどの強烈な目的地もないが、このまま年を重ねても、たいした景色が見れるはずもないのだ。

こんなことを、大学の時からずーっと考えていた、いや悩んでいた気がする。確かに、いままでを振り返っても自分らしいといえば自分らしい。
見聞を広めること自体は好きで、色々な国に行ったり、本を読んだり、映画を見たりして、それなりに知識は蓄えてきた。けれど、そこから何か新しいものを生成したことが果たしてあっただろうか。蓄えに蓄え、しかし大したものを吐き出してはこなかった。スピードを出しすぎてコントロールが利かなくなることを恐れて、その車体に傷がつくことを恐れて、ブレーキを踏んできた。

だけど、もう正直自分が面倒だ。あれこれ理由をつけて、アクセルとブレーキを調節すればするほど、見識を養えば養うほど、タイヤはすり減り、トランクの荷物は増えて重くなって、走るのにエネルギーがいる。そしてなによりそんな車はかっこよくない。たぶんいまが事故を起こしてもなんとかなる最後のチャンスだ。大学生の頃はどこかでそういう転機が自分に訪れるのだろうと信じていた。まぁよくある話だ。当たり前だけど、自分で足を運ばなければ景色の方からやってくることはない。ほんとに当たり前なのだけど、それを認めるのにずいぶん時間がかかった。

そろそろブレーキから足を離そう。燃料はまだ、ある。



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