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amazonとコンビニのあいだ〜【SPBS THE SCHOOL オープンキャンパス】『最強の建築思考』備忘録〜

【概要】
4月16日、【SPBS THE SCHOOL オープンキャンパス】『最強の建築思考』というオンラインセミナーに参加したのでその記録として。登壇者は建築家の藤村龍至さん、松島潤平さん、藤井亮介さんの3名。前半は今回のゲスト3名の設計によるSPBS虎ノ門の設計について、後半は建築思考について。
*タイトルにもあるようにあくまで備忘録です。事実感想ごちゃ混ぜで思いつくがまま書いてます。

【SPBS虎ノ門】
渋谷に本店のあるSPBSが虎ノ門のオフィスビルに新たに出店する店舗である。空間は前面の本棚郡と奥のミーティングスペースに分かれている。これは、通常バックヤードになりがちなテナントスペースの奥まった部分を有効活用しようという試みだそうだ。スライドの竣工写真を見た第一印象は3Dのレンダリングのよう、である。人や本が入っていないせいもあるのだろうが、藤井さんの解説ではMDFで作られた什器(ベンチ)の納まりを三方留めにすることで岩のような量塊のように見せるなど空間を抽象化しようという意図があったことが伺えた。一方で壁つけの本棚はあえて小口を見せるなど素材の質感に意識的であった。スライドの竣工写真を見た第一印象はレンダリングされた3Dモデルのよう、である。人や本が入っていないせいもあるのだろうが、藤井さんの解説ではMDFで作られた什器(ベンチ)の納まりを三方留めにすることで岩のような量塊のように見せるなど空間を抽象化しようという意図があったことが伺えた。一方で壁つけの本棚はあえて小口を見せるなど素材の質感に意識的であった。また、既存の本屋の空間はどれも同じような設計で、固有の質を捉えられていない(多くは植物を入れたり、照明や閲覧スペースを工夫することで飾り立てているにすぎない)という問題意識のもと、物質としての本の存在感を押し出した本棚が通路に面して配置されている。量塊としての本、量塊のように見えるベンチは一つのコンセプトのもとに成立していることがわかる。(しかしこれは台湾の誠品書店などにあるデザインのように見えなくもない)冒頭の感想に戻るが、3Dのように見えるな、と自分が感じたことが新鮮であった。それが良いか悪いかということでなく、抽象的な空間=レンダリングされた空間という認識を自分がしていることに気づいたからである。それだけ3Dモデリング・レンダリングの精度が高くなっているのだろう。高度に発達した計算機は自然と見分けがつかないとは落合陽一の言葉だが、現実の空間は抽象化を目指し、仮想の空間はリアリティを求める。突き詰めた先には同質の空間が立ち上がるのだろうか。

【建築思考】
後半は建築思考についての議論に移る。建築を設計するときにの建築家の思考法なので、議題が何であれ建築家同士が討論をすれば必然的にそれは建築思考に依ることになる。(だからといって建築家にしかこの考え方はできないのかというとそんなことはないというのがこのレクチャーが開かれた由縁なのだと思うが。)前半もそうであったが後半も藤村さんの仕切りで進む。ゲストの3名は過去にROUND ABOUT JOURNALというフリーペーパーを発行していたTEAM ROUND ABOUTのメンバーということであったが、藤村さんが半ば強引なまでのファシリテーション力を発揮していたのが面白かった。コメントを他の2人に求めたうえで更にコメントのレビューまでしたりする。考えてみれば藤村さんのレクチャーを聞くのは初めてだったので、この積極性には少し驚いた。藤村さんは1970(大阪万博、都市化の終わり)→1995(阪神淡路大震災,windows95発売、大都市化・情報化の始まり)→2020(?)という25年区切りで時代の変化が訪れるという論を掲げており、今年は東京オリンピックがその象徴となるはずだったが、予期せずしてコロナウイルスがそれにとって代わり、予期していた以上のドラスティックな形で新たな時代に突入してしまった。この変化を経て、藤村さんの提唱する「超都市化」とはどのようなものになり得るのか、という質問に対して、明確な答えはまだないが、容積率至上主義の高密化された土地利用から、緑地や空地があることの価値の再評価、それをマネジメントすることで収益を得る形での土地利用への転換が起きるのではないかということであった。高騰する地代(一極集中が進む東京においては特に)を回収する方法として、容積率緩和のボーナスを得るしかいままで方法がなかったところに、価値の転換によってわざわざ都心に通う必要がない、広くて自然の豊かな環境で仕事をしたいというモチベーションが働けば、土地利用のあり方も変わるかもしれない。現在のリモート勤務が常態化した社会においては上記のような考え方を抱く人も少なくないだろう。よく言われることではあるが、何が常識で当たり前かなんて、いとも簡単に移り変わるものだということが身に染みた。近未来を見通すためには近過去を参照することが大切なのも時代を読む勘を養うために役立つからなのだろう。過去を思考するスパンの長さはそのまま未来を考える思考のスパンに直結する。

ここまで書いた内容を眺めると思考法について全く書いていないが、実際のレクチャーが特に思考法そのものについての議論ではなかったので仕方ない。質問コーナーでの最強の建築思考とは何かという問いに対し、ゲストそれぞれが物質と空間を行き来して考えること、空間と時間をそれぞれスケールして考えること、構造的に(モジュールに区切って)考えることと答えていた。

【これからの本屋のすがた】
最後にSPBSの司会の方が投げかけたこれからの本屋はどんな姿になるか、という質問の答えが良かった。
・藤井さん
本は10万字の塊であり、そこに様々な情報が編み込まれている。その本を扱う本屋もまた情報の塊である。では、本屋が情報を編み込むとはどういうことかというと、それは議論することではないか。人々がある本をもとに議論をすることでその本に対する各人の理解が深まったり多様な解釈が生まれる。その議論の場として、本屋が機能するというのである。情報を編み込む(良い表現だ)という共通テーマについて物質と空間を行き来して翻訳してみせる発想はまさに建築思考と言えるだろう。
・松島さん
本屋=人である。近年個性的な本屋が増えてきている。それはどんな本を店で扱うかにより、選書の方向性から本屋の特徴が見えてくる。いわば書店員がキュレーターのような役割を担い、一つ一つの本棚をデザインしている。そこにアマゾンへアクセスするのではなく、本屋に行くことの意味がある。

特定の本だけでなく、予期せぬ本との出会いがあることに実店舗の本屋の意義があるとよく言われるが、最近はアマゾンでも関連書籍や同じジャンルで売れ筋の本を紹介してくれる。そこからさらに差別化を図る鍵はよりパーソナルな属性に基づいた関連本の紹介なのだと思う。ビッグデータの対極として、超属人的な主観と偏見に満ちた本の紹介もまた価値をもつのだろう。モノの消費でなくコトの消費がトレンドになっているが、ただ本を売るのではなく、その本にまつわるエピソードや店主の個人的な体験も紹介する方法は実店舗の一つの生存戦略だろう。(ただし、属人的な分、カリスマ性が求められるなかなかシビアな世界だと思う。森岡書店などはその最たる例だろう。)

・藤村さん
本屋は商店街のようになっていくのではないか。本棚ごとにジャンルの異なる本が並ぶ様はいろいろな業種があつまる商店街のようであり、それらを意識的に取り扱うことで書店のカラーが生まれるのではないか。

それぞれの提言するありかたに共感する一方、難しさも感じた。松島さん藤村さんの発想はおそらく近くて、個々の本屋がカラーを持つことがポイントだが、カラーのある本屋ほど情報発信も上手なので、本屋で得た情報をもとに結局アマゾンで買ってしまう人が多いのでないかと思う。(自分もよくやる手である。)それはどんなにストーリーを付加したりキュレーションをしても、最終的に買うのはZINEや希少本でない限りはどこでも手に入ってしまうので、在庫の多さ、手軽さの勝負になってしまうからだと思う。そして付加されるストーリーに商品価値は付けにくいので、利益につながりにくい。選書の良さでamazonに勝つにはamazonにない本を扱うしかないのかもしれない。そういう意味では新品を扱う本屋よりも古本屋のほうが可能性はあるのだろう。藤井さんの本屋=議論の場というアイデアは可能性があるように思えた。今回のレクチャーがSPBS THE SCHOOLと銘打ってることからもSPBSが議論による文化醸成に力を入れようとしていることが伺える。しかしこれもオンラインではやりづらい対話型、もしくはワークショップ型の議論でないと優位性は低いだろう。一方でSPBSは本の販売と出版の両方を行う書店であり、この作って売るスタイルこそいまだに事例の少ない、新しい本屋のすがたなのではないだろうか。

ここまで書いて思う、これからの本屋(本屋に限らず小売店の)すがたとして、緩いフランチャイズという形式があり得るんじゃないかと感じた。売るものに特色の出しづらい本屋や小売店の最大のライバルはamazonだと思うが、ECの利便性に対抗できるのは物理的な圧倒的近さ=コンビニだからだ。
コンビニの強みは全国どこでもいつでも同じものが買えることであり(要はamazonの実空間化であって、両者は紙一重である)、徹底的に合理化を進めた結果の個人商店とは対極に位置する小売店の仕組みだが、それを参照し、どこにでも存在する=オンラインよりも手軽で、同じものが買える必要はない=各店舗に特色を出せる、というスタイルである。デイリーヤマザキの一部店舗ではこういった独自化が見られるが、別に全部の店舗が同じ屋号を掲げる必要もないかもしれない。ほんの思いつきであるが、なんでもオンラインで買えるようになったことで、わざわざ買いに出かける負荷<配達される梱包をほどく負荷、という状況が起こりうるのではないかと思っている。その時にamazonとコンビニの間をとる緩いフランチャイズのような第三の小売形態があったら面白いんじゃないかと思うのである。

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