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本を読んだら 『さびしさについて』

【読むのにかかった時間】2日くらい
【再読するか】あまり読まないかもしれないけれど、手元に置いておきたい
【勧める人】静かな語りを求めている人、少し疲れている人


1.幸せな読書、つらい読書

本を読むことが好きな人にとって、読書はそれ自体が幸せだ。迷って手に入れて、しばらく置いたままにしていた本を装丁から確かめて読む。予想外につまらないということはあるけれど、置いておけば読めるようになることもある。
けれどごく稀に、読むことで心の中の大切な部屋を踏み荒らされたような、突然爆弾が落ちてきたような、つらい本に当たってしまうことがある。
怒り、嘆き、そして落ち込む。本ごと打ち捨てたくなる気持ちを抑え、どこかでリカバーされていないかと祈るような気持ちで最後まで読むけれど、嫌な気持ちのままその本を閉じた。そしてこの本を開いた。

2.『さびしさについて』

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滝口悠生さんと植本一子さんの往復書簡。おふたりは行き来の可能な距離に住んでいて、滝口さんにはまだ小さなお子さんが、植本さんにはだいぶ大きくなった二人のお子さんがいる。
植本さんの別の日記本(『こころはひとりぼっち』)にも、滝口さんと滝口さんのパートナーのことが出てくる。
ふたりの往復書簡。
これは、幸せな読書。
前の読書で受けた傷にしみわたり、優しすぎて、浴室にまで持ち込んで読んでしまった。

植本さんはパートナーとの関係を見つめ直すためにカウンセリングを受けたけれど、パートナーとの関係を解消することになった。
滝口さんは、自分が日常を書き留めるときに欠かすことのできない家族のことを、書き残すことに躊躇を覚える。
二人とも迷っている。迷いながらお互いを気遣い、手紙を書く。優しい温泉卓球みたいだ。コロン、コロン、と間を開けて続いていくラリー。

植本さんがある日、ひとりはわるいものじゃない、と綴る。きっと彼女にとって、とても大きな、世界の転換点。
それを受けて、彼女と子どもたちの関係も、彼女と滝口さんとの関係も変わっていくだろうと思うような。

全然知らないはずの人の、日記を読んでいると、まるで知っている人みたいに思える不思議。この人前も出てきたなとか、この話前も出てきたなとか…その体験が、日記文学が愛される理由のひとつなのだろうか。