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本を読んだら 『慶州は母の呼び声』

【読むのにかかった時間】数日
【再読するか】時間をおいて再読したい
【勧める人】植民地時代の朝鮮での暮らしを知りたい人、森崎和江の著者を何冊か読んでみたいと思う人

1.ちくま文庫とどう関係を構築するか

本が好き、中でも人文書や文芸が好き、品切れしている本の復刊が待ち遠しい、そんな方は、
筑摩書房、とりわけちくま文庫
との付き合い方、どうしていますか?

私は、ラインナップを見るとホイホイと財布を取り出さずにはおれず、毎月何かしら買っています。自然と集まるちくまと河出で、文庫棚は黄色みが強めです。

2.『まっくら』から

『慶州は母の呼び声』の著者である森崎和江さんの本を初めて読んだのは、岩波文庫の『まっくら 女坑夫からの聞き書き』。

https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b591607.html

夫のいるところで話を聞かない、テーマを設定して話を聞かない、など、人から話を聞くことをなりわいとする者にとっては、その姿勢からも学ぶところが多いと思う。生き生きとした語り口が魅力的だが、著者の聞き方あって開かれた語りであることは、想像に難くない。
ところで、女たちから聞いた話の後に、著者の、その話を聞くに至る経緯や、聞いた感想が記されている。女たちの自宅の様子、身の回りの品々への細やかな観察と、「まるで内発性のとぼしい人柄でありました」といった手厳しい批評、「そのポイントがつむじ風のように私をおそってきたからでもありました」といった、詩的あるいは難解な著者の内面との響き合い…この複雑な表現を書き分ける著者はどんな人なのだろうと、その点が私が『まっくら』を読んで最も心に残ったのだった。

3.『新版 慶州は母の呼び声 わが原郷』

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480439192/

著者は自身を「植民二世」と呼ぶ。植民地時代の韓国大邱に生まれた著者は、教職にあった父と、母妹弟の五人家族となり、父が学校を移るのにつれて大邱、慶州、金泉と移り住んだ。自分たちは貧しいと考えていたようだが、四季折々の風物を大切にする両親、朝鮮人のお手伝いさんの人柄や、晴れ着の民族衣装の華やかさ、軍人の乗る馬の美しい描写…記憶のひだの細かさ、豊かさにただ驚かされる。
これほどの感受性を持っていた少女に、母の病気、死、家族と離れて日本に進学したこと、敗戦…そうした出来事がどれほど大きく重かったかを思うと、胸が痛む。
この少女は、ただ繊細なだけではなく、聡明でもあった。朝鮮人の元生徒から、死後に「彼はヒューマニストでした」と称えられた父は、軍国主義や植民地主義と自分の考えで向き合い、けれど植民地において教育に携わるという自身の矛盾とも向き合うことで、自身の感覚を研ぎ澄ましていたように見える。そうした両親の姿勢を受け継ぎ、何もかもが変わってしまった戦後の暮らしの中で、著者が自分の言葉を紡ぐことはどれほどつらかっただろう。父の死、弟の自死といった出来事も重なり、とてもいっぺんの読書で著者の心を計り知ることなどできない。
ただ、この本を読んで『まっくら』を読み返すと、「はじめに」の中で「愛もことばも時間も労働も、あまりに淡々しく、遠すぎるではありませんか。何にもかもがレディ・メイドでふわふわした軽さがどこまでもつづいているので、まるで生きながら死人のくにへ追われているようです」と書かれている部分の切実な重さが、少し、自分の中で説明されるような気がしてくる。
知識を持ち、想像で補う。
それが人間の心のありようを決めるのだと思いながら。