好きと推しの境界線




「境界線」とは言いつつも
感覚としてはチョークで引けるような線ではなく
VS嵐のクリフクライムくらい大きな壁
もしくは向こう岸は見えるけど絶対に渡れない川


「推しの定義」


普段は「ご贔屓」と表現しているそれは
世間一般でいう 「推し」 「自担」
それを使う人達がどういう意味合いで使っているのかは分からないけれど、私にとっては「心臓の一部」


金を出さなければ推しにはならない
金を出さずして推しとは言えない
存在していいのは一界隈に1人 もしくは1グループ
推しにしていいのは、死ぬまで、死んでも尚、好きでい続けられる覚悟を持てた人だけ


ジャニーズでは嵐 
俳優(男)では山﨑賢人 
俳優(女)では新川優愛
決して一途という訳でもない私は
凡ゆる人に興味を持って、好きになって
テレビやYouTubeやSNSを追っている 今も尚

けれど、これだけは絶対に覆せなくて
「担降り」なんて概念がなくて
恋愛や結婚を許せない人が
「一生好きでいると思ってた」 「担降りなんて絶対にしないと思ってた」
と担降りブログなるものを啜っているのを見ると
本当に?と問いたくなってしまうほどには
自己満足以外の何物でもない信念のもと、ファンをやっている



「みんなが好きだと言ってくれるけれど いつかはそうじゃなくなってしまうのが怖かった」

「どんなに大きくて大好きな存在でも、それが無くなってしまうことで、人は違う楽しみを求めて移り変わって行ってしまうものなのだなと」

去年、自身のブログにそう啜ったアイドルがいた
TVに映る姿は偶像だと言いながらも
私の知る限り、凄く素敵な偶像を貫く人

ただの自己満足がこんな形で共鳴してしまった

脱退 退所 引退 解散 エトセトラ
いなくなる可能性に怯えながら応援しているファンと
その瞬間 娯楽として消費されていくアイドル

お互いに永遠はないと気が付いている
それでも、だからこそ
ずっと好きなんて有り得ないと言われた時に
私は永遠に嵐が好きだと迷いなく言った
永遠で在りたい 心から思った
凡ゆるものが変化していく中でも
絶対に私だけは変わらずにいる
そう誓える人だけを「推し」にして
今日も好き勝手に応援している


「好きの定義」

推しの定義に当てはまらない、好きなだけの存在
そんなのは多分100を超えているし
定義というほどのものはないのだけれど
変わらずにい続けることとあの決め事は
よく考えれば特に何の関係もない
綺麗事を吐き散らしたものの
結局のところは「金を出すか否か」が差であり
好きだと思った人の分だけ出していたら
あっという間に無一文になってしまうので
規制をかけているだけの話 多分
仮に私が富豪かなにかで
推しの皆さんにこれでもかと金を費やしても尚
金が余りまくって仕方が無いとかであれば
我慢することなく、好きなだけの皆さんにも金を出すかもしれない
ああでもやっぱり、その分も推しに費やせよとなるかもしれない
分からないな 我慢はしなくても躊躇いはするかもしれないね

無料コンテンツだけでは飽き足らず、課金したくて堪らないくらい好きというのは
今までに何度も経験しているし、現在進行形でそういう存在はいる
一度も欲に負けたことはないけれど
残念ながら、欲に負けなかったことを後悔したことは無い
その程度の感情だから抑制しなければならない
どれだけ“好き”でも、良くも悪くも何かあった時に泣くことが出来ないのだと
「推し」を見るたびに思い出している
今思い出したけど 「心臓の一部」
正しくそうだと言いたくなるほどには
「推し」は、私の感情を揺さぶってくるし、理性を壊してくるし、心臓を痛くしてくる
本当に良くも悪くも表裏一体な人達
そんな存在が沢山いたら身が持たない
そんな存在だけでも、きっと身が持たない


偶然にも私がファンになった人達は
束縛するタイプではないようなので
それに甘えて これからも
どうにかこうにか、決め事に悩みながらも
変わらずにいたいと思う

#Nowplaying


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