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楽しいってなんだっけ?

僕は一人が好きだ。

もちろん友達とどこかへ行ったり、飲みに行くのも好きだが、一人でも全然平気だ。

一人だと完全に自分のペースで行動できるし、なによりも気が楽だ。

僕は大学進学を機に千葉県の津田沼というところに引っ越した。

総武快速線で東京駅まで30分くらいだった。

一人で電車に乗るのもほとんど初めての田舎者だったが、休日になる度に電車に乗って東京方面へに出かけていた。

見るもの全てが新鮮ですごくワクワクしていた。

大学を卒業し、就職で新潟へ戻った。

このタイミングで車を手に入れたことで、行動範囲が格段に広がり、公共交通機関による時間の縛りから解放された。

新潟には良いお店がたくさんあって、休日になる度にドライブも兼ねて出かけた。

そこには自分の知らない世界が広がっていて、お店の人と話すのがとても楽しかった。

岐阜県の高山に行ってからも自分の知らない世界を求めて、休みの日はひたすら車を走らせた。

だが、京都に来てからはどうだ。

どこに出かけてもあまりワクワクしない。

出かけた先が悪いわけではない。むしろ素晴らしいクオリティだ。ただ、少し昔に感じたようなきらきらとした高揚感は不思議と感じられなかった。

おそらく、僕は自分の知らない世界を見ることに慣れてきてしまったのだと思う。

今でも自分の知らないことを見聞きするのは好きだが、もう受け手としてだけでは満足出来なくなってきている。

そろそろ僕も受け取る側から与える側へステージを上げる必要があるのかもしれない。

楽しいってなんだっけ?

ふとそんなことを考える。

よく、仕事は楽しい?という質問をする人がいるが、雇われの身で仕事自体を楽しいと感じる人は存在するのだろうか。

職場が楽しいというのは大いにあり得ることだ。けどそれって最低限コミュニティがそこに存在して尚且つ気の合う人がいないと成り立たないことだと思う。

やっぱり気の合う人と一緒にいることは無条件で楽しいんだろう。

有り難いことにその気の合う友達がたまに遊びに来てくれる。その時は本当に楽しいと思える。

一方、今の職場はボスと二人きりだ。基本的に一人で作業していることが多い。

楽しいわけがない。

楽しくはないが、作ることは好きだ。完成した時の満足感も知っているから続けられる。

最近、幼少期の原体験にこそ、その人にとっての本質的な欲求が隠されているという話を聞いた。

僕は小さい頃、ひたすら粘土をこねて、ひたすら自転車を漕いで学区外に行こうとして、ひたすら秘密基地や池を作るために穴を掘って、ひたすら素晴らしい質感の泥団子を目指して作り、ひたすらスズメバチと戦っていた。

とんでもねぇガキだ。

でもどれも時間を忘れて楽しんでいた。

僕はきっと自分の目指すものを作り、開拓者であり続けなければ、この何となくつまらない日常からは抜け出せないのだと感じている。

先日、初めて合コンというものに参加してみた。とにかく知り合いが欲しい。

相手が学校の先生ということだけ聞いていた。

仕事終わりに少し遅れて会場に向かったが、結果から言うとやはり何か違った。

まずみんな年上だった。なぜか僕以外みんな自分の年齢を伏せている。おそらく僕の5、6個は上だった。

年齢差のせいか、価値観の違いのせいかわからないが話していてもあまり楽しくなかった。

この経験からの教訓は「最低限相手の年齢を聞いてから参加しよう」である。

この教訓自体に参加費6000円の価値があったのかは今となってはどうでもいい。

僕の中で今月いっぱいのコンビニ及びお酒禁止令が発令された。

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