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次は自分の番だ

2017年9月、僕は無職だった。完全なる無職。いっさいお金を生み出さない。

この状態で何か罪を犯して逮捕されたら、無職ってことが少なくとも県内中に知れ渡るなぁ、いやだなぁなんて思いながら僕は天井をバールでぶち抜いていた。

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無職と言っても引きこもっていたわけでも、ゲームの世界にのめり込んでいたわけでもない。(ゲームは就職活動中に全て捨てた)自分の居場所を作っていた。

実家は代々鋳物屋を営んでいて、工場にある事務所棟の奥に亡くなった祖父が使っていた部屋があった。

そこを片付けたら好きに使ってもいいと父に言われ、仕事を辞める少し前からちょっとづつ片付けを進めていた。

その頃から家具職人になるための準備を始めていたので、いつか自分の作業部屋にと思い片付け出した。

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祖父の使っていた部屋は想像を超える物の量だった。物を捨てられない人の部屋だ。特に会社関係の書類が多い。一見重要そうな書類だが、父に確認すると古いため必要無いそうだ。一応大事な書類があるといけないので、確認作業をしながら焼却炉で燃やしまくった。

確認作業をしていると、祖父にまつわる物がたくさん出てきた。

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祖父はあまり口数の多い方ではなかったと思う。何より就寝時間がとても早かったので(確か遅くても20:00)、一緒に暮らしていたのにあまり会話した記憶がない。

僕が知っていたのは陶芸がちょっとした趣味で、愛車がクラウンで、サントリーローヤルを好んで飲んでいたことくらいだ。

他には何も知らなかった。

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片付け作業はまるで僕の知らない祖父の記憶を見ているようだった。

あまり見たことのない笑顔で祖父が写っている写真。

高速道路や健康ランドの領収書。

病院からの処方薬。

僕が小さい頃に描いた祖父の絵。

出てきたひとつひとつから僕の知らない祖父の姿が垣間見えた。

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僕が高校三年の時、祖父は亡くなった。

胃ガンの摘出手術後、多臓器不全を起こし亡くなった。

集中治療室の中の祖父の姿を見ると涙が止まらなくなった。

それは初めての人の死だった。

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祖父の使っていた部屋からはその他に会社にまつわる物がたくさん出てきた。

祖父の給与明細、社員の履歴書、土地の契約書類、銀行の借用書、会社の沿革をまとめた冊子

それは紛れもなく経営者として祖父が築いてきたものの証明だった。

祖父は苦難の中この場所を作り上げ、父は僕に負担が及ばないように借金を全額返済しながらこの場所を守り抜いた。

次は自分の番だ。

僕は祖父が作り上げたこの場所を守らなければいけないと思った。

この場所に活気を取り戻したい。

今は父のおかげで何とか会社として存続できている。

何年後になるかは分からないが、僕は必ずあの場所から質の高い製品を生み出しながら、次世代のモノづくりを確立させようと思う。

その時はきっと天国の祖父も喜んでくれるはずだ。

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