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21:コントローラーは自分

マガジン「人の形を手に入れるまで」の21話目です。まだ前書きを読んでいない方は、こちらからご覧ください。

自殺騒動のあと、私は自暴自棄になるのをやめた。正確には、自暴自棄の方向性を変えたのだ。

どうせ自暴自棄になるのなら、「馬鹿みたい」と言われるほど好きなことをしてしまおう。私が一度捨てた「私」を、今生きている私がどう使おうと文句を言われる筋合いはない。そう思えるようになった。おそらく、私はあの自殺未遂で「自分の役割」を殺したのだ。この頃には、欝の思考停止状態は和らぎ、自分を客観的に捉えられるように戻っていた。

これは以前からある解離の状態に戻っただけなのだが、あの日以降解離の目的は変わっていた。それまでは、解離は「望まれた自分」になるための客観視だったが、あの日からは「自分が思う望ましい自分」になるための客観視になったのだ。

私は私の人生を生きていい。そのためには、私がやるべきことを見つけなければならない。手始めに、母との関係性を見直そう。

『このままでは、私は自分の状況について母に責任を求めるだろう。』

私にはそんな確信があった。私の母は、事あるごとに祖母への恨み言を言っていた。私は20年、それを聞いて過ごしてきた。その度、「終わったことをいつまで言うんだろう」と思いながら相槌を打ってきた。きっと私も変わろうとしなければ、『母さんさえもっと別の関わり方をしてくれていれば』と晩年誰かに漏らす生活を送るんだろう。そして誰かから、『いつまでその話を引きずるの』と呆れられるのだ。

このままじゃいけない。能動的に何かを変えなければ、母のように何かを恨まないと生きていけない人生になる。私はきっとずっと、そんな「人生」から助けて欲しかったのだ。

自分を本質的に助けられるのは自分である。なら、「能動的に何かを変えてみよう」と、手始めに私はスポーツジムに通った。驚いたことに、腕を切る感覚と筋肉痛になるまで筋トレをする感覚はなんだか似ていた。他にも、2週間に一度成分献血に通うことを趣味にした。社会の役に立っていること、看護師さんから顔を覚えられて「今日も成分ですね」と微笑まれること、それらはとても嬉しかった。

メンタルとフィジカルはつながっていると、卒論を書くために読みあさった何かの本で読んだのだ。体は目に見えて鍛えられる。成果を出すことは自己肯定のきっかけになる。

献血も私と相性が良かった。偽善的、自己満足と言われても、結果論社会の役に立っている。そこに足を運ぶプロセスには各々いろいろあれど、献血が社会貢献であることは紛れもない事実だ。

「できた」が目に見えること。継続的に「人の役に立つ」こと。これを続けることは、私の脆弱な自己肯定を底上げすることにつながった。「こんな私」と自分を卑下する気持ちは、もちろんすぐにはなくならない。でも、「こんな私」「じゃできない」と続けるのか、「こんな私」「でもできた」と続けるのか。行動ひとつで、主語への評価は変わらなくても全体的な自己評価はこんなにも変えられるのだ。

そうして大学卒業から一年経った。私は「精神保健福祉士」の資格を得た。出来たことがまたひとつ増えた。そこから一年、私は自宅から病院に勤務したり、やっぱり退職して職業訓練校に行ったりとめまぐるしい一年を過ごした。そうして資格を得た翌年の冬、私は家を出る決断をした。


駆け出しライター「りくとん」です。諸事情で居住エリアでのPSW活動ができなくなってしまいましたが、オンラインPSWとして頑張りたいと思います。皆様のサポート、どうぞよろしくお願いします!