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2023.07.01


今年も1年の半分が終わり、後半のはじまりだからか、気持ち新たに


物語なのか、現実なのか、悪夢なのか、防衛なのか、夢の世界の幕開けなのか…

とにかく書きたかった。ずっと書きたかったのに、この1ヵ月半は色んな理由でそういう訳にはゆかなかった。ペンでお気に入りの紙に何かを書きつけ、そっと引き出しにしまってみたりする生活をイメージする自分もまだいるし、そのような習慣はきっとすてきだからもうちょっと何かしら頑張れよ、と自分に鞭は打たないといけないのかも知れないけれど、実際のところ、怪我をくぐりぬけている素直で頑ななカラダと心に引っ張られている'ワタシ'は、日に日に見た目から暮らしぶり、思考や行動もターザン化している、と自分では思う。

多少の、役作り?はなくはないですが、とうとう自分の蓋をしていたキャラクターというのか、自分という複雑な容器におあつらえむきのイメージが、生活の破壊上の肉体の崩壊を経て、みえてきているのではないかと思うようになってきた。

書くにあたってターザンをちょっと調べたら、違うような半分くらいはイメージ通りなような(笑)

ターザンのイメージ盗用?拝借?だけならば、ニンゲンの姿である者ならば、かなり誰もがいい線イケる系だと思うし、一流モデルやアーティストがやったら憧れの対象みたいなイメージは一瞬で容易く作られるのだろうし、順繰りそういった表現はされていると思うし、自分もたぶんそれらのイメージや表現から鼓舞されているのもあるけれど、きっと一番大きいのは、ターザンやルンペンに到達するまでの、ひとりでじっとただひたすらに身も銭をも燃やし焦がしてゆく過程の物語や、その成れの果ての姿、そうしてゆくことでしか生きられないニンゲンの営みの危うさの中にしか美を、段々みれなくなってきた自分の心の動きに振り回され…

とりあえずジャングルなんて到底無理で、雨風しのげる蛍光灯の下に所在なくいて、都会にたくさん生息してそうなダサターザンのひとりな風貌で、弱々しく空をみつめ、食べ物と飲み物や衣や飾りのことを弱々しく思い、とにかく弱々しく(笑)最低限に手と頭を動かし、足のリハビリへ突き動かされるまま通っています。

さて、どうなることやら

破壊上の崩壊の即興で与えられたシナリオと捉えるのが自然なのか

自分でもまださっぱり分からないけど、今年の前半をふり返り、何かを書いてみようと試みたら…とりあえず出てきたのがターザンでした。(広島弁を応用すると、たちまちターザン⁈)

心がターザンに傾いているのはたしかで、2週間くらい前、突然ターザンにまつわる自分の記憶が会話の中から引き出され、お話していると夢中になりすぎて時間がなくなってゆくお姐さん相手に、懸命にターザンと遊郭と調度品の話をし、聞いてもらっていた。本当に、自棄というかもう何でもよいし、他にそそられるニンゲンとしての姿のイメージが今はあまりないことに段々と肉体が先に辿り着き、ワタシも心も容器もアザラシもナマケモノも、だよね〜と皆流されてきて、肉体が、はあ〜君らねぇ…となっている感じ。ばらばら。地で一丸となってバラバラに何とか生きている(笑)とりあえず日記を書こう。頭がすっきりするかも知れないし、弱々しくない少したくましく賢いターザンへの道が今より拓けるかも知れない。それはそれで面白そう。(たちまち日記じゃ!)

今のまま、半裸で日々やきもきしながら、呼吸よりも正確に、一日おきになんとなく禁酒に失敗する情けない様子の、花や草木を弱々しくも愛でるターザンの姿…中々おかしみがあっていとしい生き物風情なんだけど、弱々しいのが玉に瑕。

何がどうなろうと、自分の心を自分が受容し、自分をせめても愛してやる工夫を凝らすのに忙しい真面目ターザン見習いに…


何だろう…

分からない…







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