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FULLMOON


夜空の月を見上げたり、凝視しようと立ち止まってみたものの軽く注目するに留まったり…


東京の住宅街からは遠い存在に感じる、でもたしかに在る、感じる、月。


ずっと5、6年くらいあてどころない遊行に、結果身を投じ、信じられないくらい思い詰めて、今年はストップがかかり、さいごにどうにも腑に落ちない大事なみのまわりの事柄に大変に苦しみながらも、きっとよく骨身までも心も休め、名前を捨て、持ち物を捨てはじめたら、季節もよいのか、少しずつ動けるようになってきた。

満月の前日はよく動いた!大好きな公園へ
許可が出てからはじめてのジョギング
人もたくさん。やってみたいこと
又ひとつみつけた。


いきなり色々と動きすぎているような気もするけど、動きすぎないと全く動き出せないタイプのにんげんの容器なんだろうから仕方ないのかなぁ…何より立ち止まり、すわりこみ、眠り続けていたいことを叶えるため。これ自分の真理


実際くるしいのも気持ちよさげなのもわりと知っている。踊りはどこからやってきて、なぜ走り出したい気持ちは消えないのだろうかね

目的がなく、ただ存在することが目的のようになっていたかな…維持を拒否しながらの維持に擦り切れた。あったのは朧げというか、雲を掴むような、わざわざレーンの外からせめてゆくようなことをずっとしていた。


ここまでですか…という道を自分でふわっと選び続け、止める足枷もなくなって、全部揃い踏みして、詰んで、どうにでもなってしまえ、となって捨て始めたら、大変だけど、本当に何もかもどうにでもなってしまえ…となってきている。


疲れ擦り切れても、整いみなぎっていても、いびつで苦しくても、走れるし、踊れる。

ひとりでも或いは、誰かそれを励まし一緒にある人がいたら、さらに踏み込む足、力は拡張するかも知れない。たとえば。


お姐さん手作りいちじくパンおいしかった〜♡
バターをケチらずに挟んじゃった、よ
こどもおばさんのやすらぎパン祭りモーニング
しあわせ味
葉っぱたちに水やりをした後、
目を細め、みどりを眺めながら頂きます。


そろそろ和食も欲してきている頃だけど、炊飯器片しちゃったから鍋で炊かないとなぁ…模倣蕎麦も控えているし、豆カレーも食べたいのに材料は保存してあったり、気力は十分なのに、食べる時間と空腹が確保できていない!こんなことはじめて…ガラリと変わってきた。
(これが浮世の流れなのかも…裸の、竜宮城のエネルギーの流れとの違いを自分の心身を通してやっと理解しはじめてきたのはいいこと)


食欲も再び落ち着き、夏場は暑すぎたり呪いにかかって動きまわれなかった分、自転車、プール…こまわりして、食材探し。図書館、映画館、美術館も行くのも快適…


minoriの秋、炸裂?おゲージツがまだあんまり足りてないかなぁ、、エネルギー、時間の使い方が逆転してきて、それはわるいことではなさそうだけど、自分に落とし込めていない…


雲を掴むような、霞を食べ続けるような気持ちに持ってゆきながら何かに向き合おうとするのも、ひとつの戦法?術?流れ?スタイルでいいのかな…とも思うようになってきた。




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