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ちょっとしたこと



題名はこれでよいかな…


とある作業中に確信が芽生えていった出来事の話で、誰かに伝えてみたかったような気持ちがしたけども、飲酒店の営業も他の行動も制限されている中では、もとより極限られている親しい人と話す機が滅多になく、わりと無意味ながら果敢にたのしく行うのが日課となっている全世界への発信で試みても、いつも通りのふるわなさで有耶無耶になっているまま。

でも、今年になって、きっと絶対にそうなんだなぁ…と思え、かたく信じて疑わないことが、
'ちょっとしたこと'かなり誰でもが分かり納得するような極'あたりまえのこと'をどれだけ疎かにしないでいられるかに全てはかかっていてどんなに重要か…

また突然、これに尽きると何かにつけて思い出されたので綴っています。



約二ヶ月くらい前、使い古してきたクッションカバーを買い替えようとした時のこと。


休日となると、大抵あーでもない、こーでもないと、だらだら食卓飾りごっこに耽りだしたり、日中はダメよと自分で強く分かっていながらテレ朝ドラマ再放送枠の誘惑に吸い込まれごろごろしたり、夜もまた次の日が暇だと気分なdvdと酒を流しこみ、明け方には神妙に清め書きごとや花遊びをはじめたりで常に占拠しているちゃぶ台に向き合うとき、この塊をずしり乗せ続け、寝汗や涎を吸収しては洗われ干されを繰り返している座布団。

体は辛うじて成しているような、一応悪臭はぎりぎりせずに存在してくれてはいるけど、私の尻圧で薄く押し潰され摩耗しており可哀想だった、

クッション、座布団。

よくよく思い巡らせると、なくても死にはしないのかも知れないけど、あったらあったで、とことんのしかかっているものなのだ…と気付き、折角だから肌さわりのよいもの、好きな色みを探していると、いつもの如く相場と予算が合わず、まぁ決まらない。

まだ特には時間に追われていない頃でもあったので、前々からいつかはやってみたいと思っていたかぎ針編みで作ってみることにして手芸店に向かった。結局、編みはじめたら意外に無になる快感に夢中になってしまい引っ込みがつかず、予算を大幅に越える結果となってしまいましたが。

休憩時間や様々な待ち時間などに、文字とおり時間潰しながらも順調に夢中で編み進め、中のクッションも新調し、さて終わりがみえてきた頃、ことは起こりました。



編みものをしたり、毛糸玉を扱う習慣がある人はご存知のことと思いますが、毛糸はもちろん先端が二箇所あり、だいたい玉の中に収納された先っぽを引っ張りだし、玉を作って編み始めるとは、たぶん小学校で初あみものをした時か、教わったり後々本をみたりで条件反射的に、新しい毛糸玉を使う時は先端をまず探し取るはずです。

丁寧にやればよかったものを、完成がみえてきた最後の1玉か2玉を編みはじめるあたりで、新しい玉の先と編み終わる玉の先を結ぶ時、持ち前の雑さとスピード狂精神がいかんなく発揮され、問題は生じはじめていたのでした。

コットン100%のわりと太めの糸で、扱い方やさわり方が雑だったためか、毛糸としてまとまっている束がちょっとずつ裂けてしまっていたのです。

おそらく、裂けてることには気付いているはずの初期段階で、指で裂けた束をまとめる動作をしつこく繰り返したり、中断して綻んだ部分を針ですくって処置してみるだとか、とにかく裂け目を放置せずに何かしらの対処を早い段階からしていればよかったし、それをどうしてもする気になれないのならば裂け目の様子をいちいち気にしながら編み進めていたらば、さいごまでもつれず編めた可能性もあると思います。

でも実際の私は、気分よくお得意の悦に入ってはラストスパートと信じ、裂けた束のことをおざなりにし、ざくざくスピードに乗りながら編み続けましたので、段々と…編んでいた玉の残りが半分くらいになった頃、見た目にはさほど深刻にみえないのですが、これから編まれる糸の玉は、もう動きをとれない限界のところまでさけ切ってしまい、しまった…気付いた時既に遅し。
もとは一本の糸が正しい秩序で巻かれたひとつの玉だったのが、ちょっとした裂け目が裂け続けたまま、ささやかに左右裏表を行き来する運動も繰り返すうちに、複雑なもつれ玉と成り果て、絡まり切り、紐が全く取れず、膠着。

もうこの状態では手遅れなのが当人にも分かり切っていて、もったいないけど一度編み目を全部遡って解いて、巻き直してから編み直すしかないはずなのに、その時の私は何を思ったか(このあたりが私のどうしようもなさ、奇天烈さたるをさらに裏付ける行動ではあるのですが)絡まっている毛糸玉の反対の先をみつけ、目の前でからまっている糸を裁って、つけかえて反対側からせめてゆこうとしました。

もうこれ以上は説明を続けるのはくどいですね。
どうなったかと言いますと、落ち着いてほぐそうとすれば、どうにかなりそうだった毛糸玉は、まだ手つかずで秩序が保たれていた部分も、私の先端を探し手繰る動作が入ったことで、さらに残りの糸全てがこんがらがり、やっと私は工程を戻さず何かを進めることを諦めました。諦めざるを得なくなったのです。

ここで私にはいくつかの選択肢が生まれました。

①その場で大泣きして、冷蔵庫に入っているであろう酒をあおり呑んで憤りを鎮め、とりあえず今日のところは目の前のあみものを放棄して寝る
②こんがらがった毛糸のことは残念だけど、今回はなかったことにして、こんがらがって絶望的な部位を切り取りさっさと処分し、明日また足りない糸を買い足しにゆく
③残りのもつれ絡まっている部分をどうにか一本の糸の状態に戻すため、編んだ部分も一旦解いてはじめの玉の状態に戻し、落ち着いて再び編み直す



だいたいその当時パッと浮かんだことを思い出すと、概ねこの3つの展開が現実的なものでした。


どれも同じくらいの確率でなり得そうな選択肢なのですが、この時は、どうしても明日に持ち越さず当日中に完成させたい願望と、お店は閉店している時刻だったこと、酒をあおるよりも、かぎ針を用いた一心不乱な編み作業に夢中だった為、自分を激しく恨みながら③を選びました。

凄くチェーンの細かなネックレスを鞄の内ポケットかにぺぴゃっと仕舞い、もつれからませてたことが何度かあり、縫い針や画鋲、ピンセット、指のはら、小麦粉…いろいろな手段を駆使し、解いた経験の持つよいイメージを思い浮かべ取り掛かりました。

からまりやもつれを解くのは、目首肩は疲れますが、包丁で人参の千切りを大量に切ることや短距離を速く走ることよりは、何も苦にはならないので、やると決めたらほつれ、からまり、結ばれてしまった玉を兎に角、ひとつずつほぐし続け、裂け気味な一本の毛糸の状態にし、ひとつの玉の状態にまで巻き直し、今度は裂け目に気を付けながら編みました。

当初の予定からニ、三時間くらい余計にかかってしまったかも知れません。


何が言いたいかということは、書き始めた一昨日はもっともっとからまりもつれていましたが、日に日に書いているうちに解れてきて、この一連の骨折り損な出来事は、全部がちょっとしたことの積み重なりで引き起こっていったという当たり前のことだけが残りました。

最初は一本の糸だったものが、もつれ、からまり、そのまま何十年も放置され、やがて風化したり、早々に切り刻まれた挙げ句に燃やされるか、目的に合致したものに生まれ変わるかは、何をどう選択するか、考え方、その時の状況ひとつで大きく変わってゆくのを思うと、ちょっとしたことの積み重ねが運命を左右するのかな…だとか。

世の中を騒がす一見複雑に絡みあいお手上げみたいなことも、もとを正せばシンプルなひとつの骨組みなのではないか、逆戻りして先をまたみるようなことはどうしてもだめなのか…なんてのは飛躍しすぎているか


やさしく洗濯し、生乾きを防ぎ、縮ませないように扱うのに慣れず、なぜか眺めながら自分は座布団の奴隷かのようにちくちくする絨毯の上に直に座り、高みにいる新しい手作り座布団をにっこり眺めるというチグハグな生活を楽しむ可笑しめな私もまだこの世で息してます。












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