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踊りたきゃ踊ればいい

「こうでなければいけない」という変な概念に囚われて、自分の中のやりたい衝動に蓋をしてしまうことは少なからず、ある。

それは、何も大きなことだけではなくて、日常の小さなことでも。


気持ちよく晴れたある日の午後、音楽を聴きながら水際を散歩していた。

そよそよ吹く風と、ふわっと暖かい空気と、さらさら流れる水の音と、ゆらゆら気持ちのいい音楽が交じり合って、心地よくて思わず身を任せて踊りたくなった時、「あ、こんなことしたら変な人だって思われるよな」と、その気持ちも自分の衝動も抑えた。


こういうことって、時々起こる。


どちらかというとそういうものを気にしない性質なんだけれど、それでもやっぱり、ずっとそういう社会の中で生きてきたから、意識せずとも「こうでなければ」の概念が奥の方からふつふつ浮き上がってくるのだ。


でも、さ、「こうでなければいけない」ことなんてないよね。


もちろん、人を思いやる、という気持ちを持つのは大事だけれど、それを通り越した『配慮』は要らない。

もし私がイヤホンをしながら踊り狂っていたとしても、誰にも迷惑なんかかけない。「あの子、なんだか変わってるね」と一瞬思われるくらいだ。むしろそんなことすら思われないかもしれない。

それなのに、周りが自分を変だと思わないように『配慮』して自分の気持ちに蓋をすることは、逆におかしなことのように思えてきた。


なんでも、そうなのかもしれない。


人と違う意見になった時、人と違う道を進もうとした時、「周りと違う」と感じるとどうしてもちょっと不安になってしまう。そこは、もうどうしたってしょうがないとして。重要なのは、そこをぴよーんと飛び越えること。飛び越えてしまえば、多分、もっともっと心地いいのだ。


踊りたきゃ、踊ればいい。


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