30歳で気づけて良かった、夢の設定方法


こんにちは、あつきです。
またまたお久しぶりな投稿。


時間がある時って暇すぎていろんなことを考えてしまう。
特に過去に思いを巡らせる時間が多いのです。


今日はふわっと高校3年時、私の大学受験期を思い出しました。


部活を引退したあと、3年生たちはすぐに受験勉強に移行します。
私のクラスの98パーセントが進学を選択しまして、周りは大学受験一色。


それでいてほとんどが4年生大学の国公立を志望します。

一応、私もそのうちのひとりでした。


でも当時、特に行きたいと思う大学もなく、
周り皆が志望してる大学名をなんとなく進路調査表に書いたことを覚えております。


なんでみんな、将来の夢が具体的に決まっていて、それに見合った学部をすんなり選べるのだろう。
てか、いつの間にオープンキャンパスとか行ってたん…?

そういう風にできない自分は人として未熟なのでは?とも思って自分を責めたりもしました。(大体の人は大人になっても未熟ね)


でも今思うと、
「将来をきっちりと設定してそれに向かって生きていける人」
「行き当たりばったりの人生を歩む人」
それぞれが一緒くたにして進路希望を書けなんて
かなり乱暴なものなのでしたよね。

一人一人、夢の設定方法が違って大丈夫だよって周りの大人に言われていたら
高校3年生の私も迷わなかったでしょう。


前振りが長くなりましたが、


夢の設定方法は十人十色。
10年後20年後をきっちり描いてそれを逆算して歩める子もいれば
私のように目の前で起きることに一生懸命でワタワタしながら歩む人もいる。


前者の人たちは、今ではしっかりその夢を果たしていて
まさに有言実行な人生を今でも送っている。
方位磁石がしっかりとついた船を目的地にむけてきちんと操縦している感じ。

後者の人たち、つまり私のような人は
方位磁石がもともと付いてない船をなんとなく操縦している感じ。
「ざっくり東にいきたい!」と思って日が上る方へ舵をとっている人。
東に行ってるつもりが、実は北東に向かっていたり、目的地じゃないところで停泊してみたり。
んで今度は南を目指してみたり。
もう、どこ行きたいのよって感じ。笑


でもいつも共通しているのは「その時自分がときめいている方向」へ向かっているということ

でした。


こういう行き当たりばったりの選択をしてまあまあ良かったとは思えますが、

もし高校3年の時、しっかりと夢を思い描いていたら
もうちょっと近道をできたかもって思ってる。


今の私になるために、高校3年の私に言いたいことは

「野球部のある大学を選んで、そこでマネージャーをやりなさい」と。

そう言いたい。


ざっくりとどういう自分になりたいかをしっかり因数分解して!
周りに流されてなんとなく決めるんじゃなくて。


このことに気がつけていたら、もう少し無駄のない人生を歩めたんじゃないかって。


でも、人生100年時代。


30歳でこのことに気がつけたならば儲けもん☺️

残りの人生をきっちり歩むため、私、因数分解がんばりますよ☺️


あと、一言いっておきますが

人生って無駄が9割だなって。

でもその無駄があるからこそ、密度がたかく、分厚い年輪となって
為人が作りあげられるんだってことも書いておきます。


無駄って思ってたことは無駄ではないんだよね。



おわり

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