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イケメンに屈しない方法・中級編

本日は、企画「この経験に学べ」と無理矢理に連動させた「イケメンに屈しない方法」を話します。


前回の「イケメンに屈しない方法・初段」では「イケメンとは自分を映す鏡」であり、「自意識」なのだと言いました。

あれから8ヶ月。その見解は変わっていません。

そしてそれに加えて、新たなことがわかりました。

イケメンは「概念」である。

と言うこと。

それぞれある己の中でのイケメン軸。

自分の中での価値観だからこそ、他人と違っていて当たり前。

「この人、ちょーイケメン」って思っていても、他人にとっては「え?どこが?」ってなんてことはよくある。


まあ、山P(山下智久さん)くらいのレベルになってしまえば、ほぼ満場一致でイケメンと言う意見になるでしょうが。


山Pで思い出した経験がある。


予備校で出会った他校のイケメン通称「山P」

2010年。
大学受験を控えていた私は予備校に通っていた。

そこには、山Pにそっくりと言われている他校の男子が通っていて、女子たちからは「山P」と影で呼ばれていて黄色い声が上がっていた。


確かに、山Pには似ている。
なんなら結構山P寄りの山Pだった。
私も彼に対して「イケメン」と思っていた。

しかし、私は彼に対して一度も屈したことはなかった。

なんなら、かなり対等に話していたし、各々大学に進学した後や就職した後も飲みに行ったりしていて、仲良くはさせてもらっていた。


彼は10代で出会ってから20代まで、どの時代でもしっかり「山P」だった。
社会人になって社会の荒波に揉まれ疲れ切っても「山P」だった。
20代半ばになる頃には、彼の「山Pレベル」はさらに磨きもかかっていた。

でも私は全く屈しなかった。
なんで屈しなかったのだろう。

タイプじゃなかったとかそういう次元の話ではなくて、多分私は彼を顔だけでなく、全体にまとう空気感とか雰囲気を総体的に見ていたのだと思う。


そう、イケメンは顔だけを見てはいけない。
その人の全体像をしっかりと見つめることが大事なのだ。


顔ばっかり見てしまうからこそ、その”一流の顔”にやられてしまい、こちら側も早い段階で白旗をあげて屈してしまうのだ。


しかし、イケメンの全体のまとう空気感や雰囲気を見てみたらどうだろうか。
そうするととても顔とのバランスが取れる。

何もかもだスマートそうってイケメンに対して思ってしまうけど、中にはどんくさいイケメンだっている。
そうなると「あれ?このイケメンもただの人間じゃん」ってなる。

(顔も雰囲気までもすべてがイケメンで揃っちゃった場合は使えないけど)


これを逆手に取ったのが、「雰囲気イケメン」と言う人種だ。

雰囲気イケメンはずるい。

纏う空気感と雰囲気がイケメンだと、自ずと顔も(本当にそんなことなくても)イケメンに見えてきちゃうからだ。


ここまで書くとわかるのだけど、イケメンの条件とは広範囲にわたっている。
顔がイケメンなのはもちろんだが、雰囲気イケメンも歴とした”イケメン”なのだ。


イケメンは「概念」

概念とは、具体的な物事ではない。
ネット用語で言うところの、推しそのものではなく、イメージカラーや推しの髪色を指すのである。


10代の私は自然に概念として山Pを見ていたからこそ、彼に屈することはなかったのだろう。

でも、この技術は取得したくても一朝一夕では取得できない。


概念として見るためには

この技術を取得するためには、何度もイケメンを見て「んはああああ〜(照)」ってなって、自意識と戦って、でも「イケメンは概念」と自分の中で落とし込んで、今一度イケメンにピントを合わせた上で、全体の雰囲気として見る。

カメラ映像に置き換えると、イケメンの顔にピントがあってて背景がぼやけている状態で、その後徐々に引き絵になっていって、背景もしっかり見えてくる感じのイメージ。


そう言う訓練を何度もしていけば自ずと「イケメンに屈しない目が養われる」のだ。
これができれば固定観念も段々となくなってくる。
ぜひ、お試しあれ。


でも概念だからと言って、イケメンも人であると言うことは忘れないでね。



10代の時にこの目を養っていたからこそ私は、雰囲気イケメンにはとても屈してしまう20代を歩むことになりました。



おわり

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